塔百景43写真は2013年4月中旬に撮影したものです。
仁和寺の御室桜は遅咲きで知られていますが、今年は残念ながらもう散り始めているようです。
仁和寺の開花状況はこちら→
http://hanami.walkerplus.com/detail/ar0726e26118/御室桜と呼ばれるのはオムロアリアケの他、10数品種の桜のことをいいます。
なぜかここに植えられた桜は樹高が高くならないそうで、謎だとされていました。
近年の調査で、粘土質の土壌の上に水はけのいい土を約50cmほど盛り、そこに桜が植えられていることが判明しました。
粘土質の土壌が根の成長を妨げているため、樹高が低くなっているとのことです。
御室桜はお多福桜とも呼ばれ、こんな歌があります。
わたしゃお多福 御室の桜 鼻が低ても 人が好く(俗謡)
鼻に花をかけてあるのですね~。
仁和寺の境内に菅公腰掛石があります。
この石の下は井戸になっていて、柄の長いひしゃくが置かれています。
参拝者はひしゃくで水掛不動尊像に水をかけて参拝します。
菅公とは菅原道真のことです。
仁和寺の開祖・宇多天皇は菅原道真を重用していました。
897年、宇多天皇は醍醐天皇に譲位しましたが、その際、醍醐天皇にも道真を重陽するように、と言い含めていたそうです。
ところが901年、藤原時平が醍醐天皇に「道真は謀反を企てている。」と讒言し、
醍醐天皇はこれを信じて道真を大宰府に流刑としてしまいました。
903年、道真は大宰府で死亡しました。
道真の死後、都では疫病が流行し、天変地異が相次ぐなどし、それらは道真の怨霊の仕業だと考えられました。
菅公腰掛石には次のような伝説があります。
道真は大宰府に向かう途中、仁和寺に立ち寄り、冤罪であることを宇多上皇に訴えようとしました。
しかし宇多上皇は留守でした。
仕方なく道真は石に座って帰りを待っていましたが、会うことができないまま大宰府へ向かいました。菅公腰掛石とは道真の怨霊を呪術的に封じ込めた石なのだと思います。
道真の怨霊を畏れた人々は、道真の怨霊を石に封じるだけでは十分ではないと考えたのでしょう。
それでその石の上に不動明王の石像をたたせて水掛不動尊と称し
毎日多くの参拝者が水をかけて怨霊に禊ぎをさせるようにしているのではないでしょうか。
仁和寺・・・京都府京都市右京区御室大内33 いつも応援ありがとうございます!
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[2015/04/14 09:43]
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