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菅大臣神社 飛梅 『道真を慕って飛んできた梅の正体とは』 

東風(こち)吹かば にほひをこせよ 梅花(うめのはな) 主なしとて 春な忘るな

平安時代、藤原時平の讒言によって菅原道真は大宰府に左遷されることとなりました。
大宰府に向かう前、邸宅の庭の梅との別れを惜しんだ道真は、このように歌を詠みました。

道真は梅のほか、桜や松との別れも惜しんだようです。
この道真の邸宅の梅・松・桜には次のような伝説があります。

桜は道真との別れを悲しむあまり、枯れてしまいました。
梅と松は道真の後を追って大宰府へ向かって飛んでいきました。
松は途中で力尽き、兵庫県神戸市須磨区板宿町の飛松岡に根を下ろしました。
梅は無事大宰府まで飛びきり、道真に会うことができました。


大宰府天満宮にはこの道真を慕って飛んできた飛梅と呼ばれる梅があります。
私は大宰府天満宮には行ったことがないので、ウィキペディアの写真をご覧ください。↓
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Dazaifu_Tenmangu_Plum_Tree_2004-03-07.jpg

京都の菅大臣神社にも飛梅と呼ばれる木があります。 ↓


管大臣天満宮 飛梅2 

菅大臣神社は道真の邸宅があった場所とされます。

菅大臣天満宮 飛梅 


大宰府天満宮の飛梅は白梅ですが、菅大臣神社の飛梅は紅梅です。
いったいどうなっちゃってるの?
北野天神絵巻を見ても道真が別れを告げている梅の木は紅梅です。

さて今日は、『飛梅伝説は何かを比喩的に表現したものではないか』ということについてお話しします。
実際に梅が空を飛ぶなどということはありえませんので。

梅は男色を意味するものだとも言われます。
道真は梅のほか、菊も大変愛していたようですが、菊も男色を意味するとされます。
すると道真を慕う男色の相手が大宰府までやってきた、ということなのかも?

少年愛の連歌俳諧史―菅原道真から松尾芭蕉まで という本も出版されています。まだ読んでいないのですが~。
この本のタイトル見ると、菅原道真は男色をたしなんでいたかのように思われます。

菅大臣天満宮本殿のかたわらに白太夫社がまつられています。 ↓

管大臣天満宮 梅 

白太夫とは道真を慕い道真に従って大宰府にやってきた度会(わたらい)春彦のことです。

道真に従って大宰府にやってきた人物としては味酒保行もいます。
彼は道真の死後50年も道真の墓守をしたとされています。

度会春彦、または味酒保行が道真の男色の相手だったのではないかなあ、と思ったりします。



菅大臣神社・・・京都市下京区仏光寺通新町西入ル菅大臣町187-1


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[2015/03/21 06:00] 京都府 | トラックバック(-) | コメント(-)