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清水寺 青龍会 『鴨川は三途の川に喩えられていた?』 


清水寺 青龍会2 

清水寺の青龍会の日程はこちら→ http://www.monzenkai.com/seiryue.html


東西南北をつかさどる四匹の聖獣、玄武・朱雀・白虎・青龍を四神といい、、玄武は北、朱雀は南、白虎は西、青龍は東の守護神とされています。
そして玄武は丘陵に、朱雀は湖沼に、白虎は大道に、青龍は川に棲むとされ、北に丘陵、南に湖沼、西に大道、東に川がある土地のことを四神相応の地といいます。

平安京の北には船岡山が、南には小椋池(現存せず)が、西には山陰道が、東には鴨川があり、まさしく四神相応の地だったのです。

玄武・・・北の守護神・・・丘陵に棲む・・・船岡山
朱雀・・・南の守護神・・・湖沼に棲む・・・小椋池
白虎・・・西の守護神・・・大道に棲む・・・山陰道
青龍・・・東の守護神・・・川に棲む・・・鴨川

これはつまり、鴨川の東は平安京の外だったということです。

清水寺 青龍会 

平安京が建都された当時、平安京の中には官寺である東寺と西寺以外の寺院建設は認められておらず、多くの寺社は平安京の外に造られました。

古の人々は都の中をこの世、都の外をあの世に喩えていたそうです。

今でも鴨川の西は銀行やオフィスビルなどが立ち並び、人々の暮らしを支える商店街などもあって、生活感にあふれています。
しかし鴨川を渡った東側には八坂神社・知恩院・建仁寺・清水寺などの大きな神社仏閣が並び、神仏が住まう場所となっています。

また清水寺のあたりはかつては鳥辺野と呼ばれる風葬地で、清水の舞台から死体を投げ捨てていたとも言われています。

神仏や死者が住まう鴨川の東は、まさしくあの世というにふさわしい土地だったことでしょう。
すると、鴨川は三途の川に喩えられていたのではないかと思うのです。

951年、京都に疫病が流行り、鴨川の河原は死体で溢れかえるほどの惨状であったそうです。
京の人々はそのようすを見て、地獄を思い浮かべたにちがいありません。

清水寺 青龍会3 


清水寺・・・京都市東山区清水1-294
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[2015/03/17 06:00] 京都の祭 | トラックバック(-) | コメント(-)