※さきほど、下書きにしたつもりで、写真も貼っていない記事をあげてしまいました。
すいませんでした。
それにもかかわらず拍手ボタンを押してくださった方、ありがとうございました。道明寺天満宮の梅が見ごろを迎えているようです。
道明寺天満宮では、アメノホヒ、菅原道真、そして道真の伯母の覚寿尼を御祭神としています。
アメノホヒは土師氏の祖神ですが、菅原氏はこの土師氏の後裔です。
なので、アメノホヒは道真の遠い先祖にあたります。
901年、57歳のとき道真は藤原時平の讒言によって大宰府に左遷されることになりました。
大宰府に向かう前、道真は一時、道明寺にいる叔母の覚寿尼を訪問することを許されました。
道明寺で道真は
鳴けばこそ 別れも憂けれ 鶏の音の なからん里の 暁もがな と歌を詠みました。
鶏が鳴くのでもうお別れしなくてはなりません。鶏の鳴かない里の朝がうらやましい。
みたいな意味でしょうか?(自信ありません)
それで道明寺の人々は鶏を飼わないそうです。。
903年、2月25日、道真は大宰府で失意のうちに59才で死亡ました。
道真は鶏の声に驚いて道明寺を出立したのですが、記紀にも鶏が登場する有名な話があります。
『天岩戸隠れ』の物語です。
天照大神が機屋で衣を織っていた時、スサノオが機屋に逆剥にした馬を投げ込み、それに驚いた一人の織女が梭(ひ)で陰部を刺して死んでしまいました。
堪忍袋が切れた天照大神は天岩戸に隠れてしまい、高天原も葦原中国も闇となりました。
事態を改善すべく、八百万の神が天の安河の川原に集まって会議を開き、オモイカネの発案に従って、様々な儀式を行いました。
①常世の長鳴鳥(鶏)を集めて鳴かせました。
②八咫鏡と八尺瓊勾玉を造り、太占をし、賢木を根ごと掘り起こしたものに八咫鏡と八尺瓊勾玉をかけ、祝詞を唱えました。
③アメノウズメが岩戸の前でストリップダンスをし、八百万の神々が一斉に笑いました。
④不思議に思った天照大神は岩戸を少し開けて外を伺ったところ、アメノタヂカラオが天照大神の手を取って岩戸の外へ引きずり出しました。
⑤フトダマが注連縄を岩戸の入口に張り、天照大神に「もうこれより中に入らないで下さい」と言いました。一般に、逆剥の馬に驚いて、梭で陰部を刺して死んだ織女とは天照大神自身、そして天照大神が天岩戸に隠れたということは、死んで埋葬されたという意味だと考えられています。
鶏が鳴いたあと、天照大神は天岩戸から出てきましたが、これは死んだ天照大神が神として復活したということだと思います。
道真が鶏の鳴き声に驚いて道明寺をあとにしたという物語は、天岩戸神話をベースに創作したものではないでしょうか。
鶏が鳴くのは道真がのちに天神として復活することを意味しているのだと思います。
道明寺天満宮・・・大阪府藤井寺市道明寺1-16-40 いつも応援ありがとうございます♪
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[2015/03/09 12:06]
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