月見祭 布団太鼓 百舌鳥(もず)八幡宮 『古墳の向きと祭の日の関係』 

百舌鳥八幡宮 布団太鼓

百舌鳥八幡宮の秋祭りは今年(平成26年)は9月13日、14日に行われる予定です。
詳しくはこちらをご覧ください→ 平成26年秋祭

百舌鳥八幡宮 布団太鼓

百舌鳥八幡宮があるあたりには、数多くの古墳があり百舌鳥古墳群と呼ばれています。
百舌鳥八幡宮の西には御廟山古墳もあり、世界一の墓域面積を持つ仁徳天皇陵(大仙陵古墳)もすぐ近くです。 

百舌鳥古墳群 模型  
↑ 堺市役所21階展望ロビーにあった模型です。(見やすくするため一部加工しました。)

現在、応神天皇陵は古市古墳群にある誉田御廟山古墳とされていますが、宮内庁は御廟山古墳を応神天皇陵の第2候補として陵墓参考地に指定しています。

実際、御廟山古墳が応神天皇の御廟であるという伝承があったようで、御廟山という名称は、百舌鳥八幡宮の奥の院、御廟であると考えられたところからくるとも言われています。

『古墳の向きがバラバラなのは、古墳の向きが方位暦になっていて、前方後円墳の主軸の後円部がさししめす位置が、被葬者の命日をあらわしているとする説があります。

方位暦は、1年を360度であらわしたもので、冬至が北、春分が東、夏至が南、秋分が西となります。

応神天皇の命日は西暦310年2月15日となっています。
命日の2月15日は旧暦(太陰暦)ですが、方位暦は太陽の運行に基づくものなので、これを新暦(太陽暦)に換算する必要があります。
ネットを探してみると旧暦を新暦に換算するサイトはたくさんあるのですが、西暦310年を計算できるサイトが見つかりません。
そこで、2001年~2010年の旧暦2月15日を新暦換算してみたところ、旧暦2月15日は新暦3月9日から4月2日ごろと出ました。
ざっくりとした計算ですが、旧暦の310年2月15日はだいたい3月9日ごろから4月2日ごろだと考えていいでしょう。

 ←御廟山古墳の方角を見てください。
方位暦では真東は春分、新暦3月21日ごろをさしています。
御廟山古墳の主軸の後円部の方角は春分から約9度ほど南にずれています。
円は360度で、太陽暦の1年は365日なので、方位暦は365日÷360度=1.01日、1度は約1.01日を示します。
9度は1.01度×9度=9.09日なので、御廟山古墳の主軸の後円部の方角は、だいたい新暦3月21日から9日目の新暦3月30日ごろを示しているということになると思います。。
応神天皇の命日は新暦換算するとと3月9日ごろから4月2日ごろとなりますから、古墳が方位暦をあらわしていると考えた場合、御廟山古墳の主軸の後円部がさししめす方角は、応神天皇の命日とほぼあっていそうです。 
何度も言いますが、ざっくりした計算なんですけどね。
応神天皇の命日が正確に計算できればいいんですが~。


御廟山古墳と方位暦  

現在、応神天皇陵とされている誉田御廟山古墳()の主軸は真南から30度ほど東に傾いているので、方位暦では5月20日ごろとなり、応神天皇の命日とあいません。

さらに古墳の後円部の向きが被葬者の命日を表すとする説では、古墳の前方部は被葬者を祭祀する日であるとしています。

先ほど、『御廟山古墳は百舌鳥八幡宮の奥の院、御廟であると考えられていた。』と書きましたが
百舌鳥八幡宮の祭は『月見祭』といって本来は中秋の日に行われていました。
中秋とは旧暦8月15日のことです。
旧暦8月15日は応神天皇の命日である旧暦2月15日から約半年後となります。
(※旧暦は3年に1度閏月があり、また年によって閏月が異なるなど計算がややこしいです。上記もざっくり計算した場合と考えてください。)

方位暦でみれば、御廟山古墳の後円部は応神天皇の命日である旧暦2月15日ごろを、前方部は旧暦8月15日ごろをさしています。
百舌鳥八幡宮の月祭は、応神天皇の命日から半年後の応神天皇を祭祀する祭だとも考えられます。

うーん、本当の応神天皇陵は誉田御廟山古墳ではなく、百舌鳥古墳群の御廟山古墳なのかもしれませんね。
ただ古墳の向きが命日を表しているという説を証明するのはなかなか難しいでしょうね~。
というのは日本には墓誌を残すという習慣がなかったため、古墳の被葬者の特定が難しく、また太陰暦といっても様々な暦があり、どのような暦を用いて日本書紀に命日が記されているのか、よくわからないからです。




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[2014/09/12 21:00] 大阪の祭 | トラックバック(-) | コメント(-)