大覚寺 大覚寺狂言 『閻魔大王と地蔵菩薩は同体』 


兵庫県尼崎市 大覚寺
大覚寺狂言・・・2月3日


①大覚寺狂言

京都などに民俗芸能である大念仏狂言が伝えられています。
大念仏狂言とは融通念仏(大念仏)の中興者・円覚上人の念仏の教えを無言劇(パントマイム劇)としたものです。
兵庫県尼崎市の大覚寺に伝わる大覚寺狂言も、大念仏狂言のひとつなのだと思います。

②閻魔庁

多くの演目が奉納されましたが、今日はその中から『閻魔庁』をご紹介します。


大覚寺狂言 閻魔庁3 
鬼たちは閻魔大王に命じられて・・・・・・

大覚寺狂言 閻魔庁6

幽霊さんをいたぶります。

大覚寺狂言 閻魔庁7




大覚寺狂言 閻魔庁
mind-travel

ぎゃーーーーっ!

大覚寺狂言 閻魔庁5 

幽霊さんはさらに釜ゆでにされて鬼たちに食べられてしまいます。

大覚寺狂言 閻魔庁2 
お地蔵様があらわれて錫杖で釜をかきまぜると・・・・・

大覚寺狂言 閻魔庁 

錫杖につかまって幽霊さんが釜の中から出てきました。

③うちわは魂を呼び寄せる呪具

古の人々はうちわを『魂を呼び寄せる呪具』であると考えていました。
お地蔵様が手にうちわを持っているのは、鬼に食べられてしまった幽霊さんの魂を呼び寄せるためなのではないでしょうか。

③閻魔大王とお地蔵さまは同体

閻魔大王とお地蔵様は見かけは全く異なりますが、同体であると言われます。
閻魔大王は死者を裁きますが、死者が地獄で受けるのと同じ痛みを自分自身も受けるといわれます。
また、地蔵菩薩は地獄に現れて人々の身代わりになって地獄の責め苦を受けてくださるとも言われています。
つまり死者を裁く閻魔大王は地獄で地蔵菩薩となって現れ、人々の身代わりになってくださるということでしょう。

④陰の閻魔大王が陽に転じて地蔵菩薩になった?

閻魔大王とお地蔵様が同体であるというのは、陰陽道の考え方によるものだと思います。
陰陽道では陰が極まれば陽に転じると考えます。
ここから、陰=祟り神は、祀り上げれば陽の存在=ご利益を与えてくださる守護神に転じると考えられるようになりました。

つまり陰が閻魔大王で、それが陽に転じたのが地蔵菩薩なのではないかと思うわけです。





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[2017/02/12 00:00] 兵庫の祭 | トラックバック(-) | コメント(-)

龍野 ひなまつり 『氷や刀に変身する手』 

龍野ひなまつり・・・2016年3月19日(土)~27日(日)10:00~16:00 http://harimarche.com/topics/46576_46576/

龍野 街並2 
 城下町・龍野の美しい町並を

 龍野 ひなまつり 江戸時代のお雛様 
ひなめぐりしつつ歩きます。
写真は江戸時代の雛人形なのだとか。表情の優しさにほっこりします。

●諏訪湖に表れた白狐


私が龍野を訪れたのは2008年で、このときは人形浄瑠璃の上演もありました。
 
龍野 ひなまつり 人形浄瑠璃 

「本朝廿四考 狐火の段」です♪

本朝廿四孝とは!
武田家と上杉家の確執を脚色した物語です。
脚色したものなので、実在しない人物も登場します。
上の写真は武田勝頼の許嫁の八重垣姫ですが、八重垣姫は架空の人物です。
中国に『二十四孝』(にじゅうしこう)という孝行に優れた24人を取り上げた書物があります。
「本朝」とは日本のことで、「本朝廿四考」とは「日本の孝行に優れた24人の孝行者の話」という意味です。
3段目に慈悲造という者が母に命じられて雪の中筍を掘るという話が出てきまして、それが孝行者の話だということでこういうタイトルになったようです。
うーん、でもあまり本筋に関係のないエピソードで、それがなぜタイトルになったんでしょうか?

それはさておき、ざっとあらすじを書いておきます。

武田家の家宝・諏訪法性の兜を上杉家が返さないので両家は仲たがいをしていましたが
和解のため、上杉の娘八重垣姫と、武田信玄の息子・武田勝頼の縁談が決まりました。
そんなとき、将軍足利義晴が暗殺されるという事件がおきました。
武田晴信が犯人ではないかと疑われ、3年の間に犯人を見つけることができなければ嫡子勝頼の首を差しだすようにと求められました。
しかし3年がたっても犯人を見つけ出すことができず、勝頼の首を差し出すことになりました。
武田家家老・板垣兵部はかつてこっそりと自分の子供と勝頼をすりかえていたのですが、自分の子供の首を差し出すのは嫌だと思い、身代わりとして蓑作という者を連れて帰ってきました。
実は蓑作こそが本当の勝頼だったのです。
信玄はこれを見破り、偽の勝頼(兵部の子)は切腹しました。

真の勝頼(箕作)は諏訪法性の兜を求めて甲斐から信濃へとやってきて、花作りに身をやつして上杉の屋敷に入りました。
花作りが勝頼であることを見抜いた謙信は、勝頼を使いに出し、その帰りに討ち取ろうと考え刺客を送りました。
謙信の娘・八重垣姫は蓑作の姿を見て「この方は勝頼にちがいない」と悟り、勝頼を助けるため、諏訪法性の兜に祈りました。
「諏訪湖は凍っていて舟を出すこともできないのですが、なんとしても勝頼様にお知らせしたいのです、お助けください!」
すると諏訪明神の使いとされる白狐が現れました。
八重垣姫が兜を頂くと、たくさんの狐火が燃えました。
狐が乗り移った八重垣姫は湖上を駆け抜けていきました。

龍野 街並

●諏訪湖に表れた白狐の正体は御神渡りだった。


諏訪湖では冬の寒い日に「御神渡り(おみわたり)」という現象が起こることがあります。



動画、お借りしました。動画主さん、ありがとうございます。

「御神渡り」とは 氷が盛り上がって、長い筋を作る現象のことです。
諏訪大社の御祭神・建御名方命(タケミナカタ)が下諏訪に住む八坂刀売命(ヤサカトメノミコト)に会いにいくときにできた足跡だと言い伝わっています。。

「本朝二十四考 狐火の段」はこの伝説を元に作られたものだったのですね。
つまり武田勝頼はタケミナカタ、八重垣姫はサカトメノミコトのイメージと重ねられているのでしょう。
これにちなみ、諏訪湖には八重垣姫のブロンズ像がたてられているそうです。

この「御神渡り」ができるメカニズムは次のように考えられています。

①気温が下がると氷が収縮して裂け、そこに湖の水が入って結氷。
②気温が上昇すると氷が膨張し、裂け目の氷が持ち上げられる。
http://www.dotoinfo.com/naturecenter/omiwatari.htmより

冷凍室にビンに入ったジュースを入れて、翌朝見てみるとビンが割れていたということがあります。
なんでも、水は氷るときに膨張して体積が増えるんだそうですね。
だけどいったん凍ってしまった氷は、気温が下がると収縮し、気温があがると膨張するということでしょうか?

龍野 如来寺 
如来寺

タケミナカタは大国主神の次男です。

天照大神は葦原中国は自分の子孫が収めるべきだとし、葦原中国の大国主命のもとへタケミカヅチとフツヌシを派遣し、大国主神に「国を譲るように」と迫らせました。
大国主神は「自分の二人の息子に意見を聞いてくれ」と言いました。
そこでタケミカヅチは大国主神の長男のコトシロヌシと次男のタケミナカタに「国を譲るように」と言いました。
タケミカヅチは「承知した」と答えて海に入水しました。
タケミナカタはタケミカヅチに力くらべを挑みます。
タケミカヅチは手を氷に変え、さらに刀に変えて(ひえ~)、タケミナカタの手を潰して投げ飛ばしました。
タケミナカタは諏訪湖まで逃げましたが逃げきれなくなり、ここから出ないこと、葦原中国は天照大神の子孫に譲ることを誓いました。

タケミカヅチは手を氷に変え、さらに刀に変えたとあるところに注意してください。
そしてもう一度、上の御神渡りの動画を見てほしいのです。
御神渡りは神様が渡った跡のようにも見えますが、たくさんの氷の刀が並んでいるようにも見えませんか?

諏訪湖の御神渡りは、タケミカヅチがタケミナカタと闘った際に変身した氷の刀であるとも考えられていたのではないでしょうか。

    

龍野 ひなまつり 嫁入り人形 

ガラスケースをドールハウスのように見立て、ふすまや姿見、たんすを置いてあるんですね!
たんすの細工などすごく手がこんでいて見とれてしまいます。
姿見に花嫁さんの後ろ姿が写るのもいいですね♪


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[2016/03/25 00:00] 兵庫の祭 | トラックバック(-) | コメント(-)

大覚寺 大覚寺狂言 『琵琶法師と弁財天の関係』 

兵庫県尼崎市 大覚寺
大覚寺身振り狂言・・・2月3日


●なぜ六波羅蜜寺では弁才天を祭っているの?

前回、六波羅蜜寺の追儺式についての記事を書きましたが
六波羅蜜寺 追儺式 『六波羅蜜寺に表れた土蜘蛛の正体は平将門だった?』※書き直しました。 


六波羅蜜寺では弁才天をお祭りしていて、都七福神の一となっています。

六波羅蜜寺 六波羅蜜寺

ちなみに都七福神とは次の7つの寺社で、正月に7つの寺社をめぐる七福神めぐりをする習慣があります。

京都恵美須神社(恵比寿天)・松ヶ崎大黒天(大黒天)・東寺(毘沙門天)・六波羅蜜寺(弁才天)・赤山禅院(福禄寿)・革堂(寿老人)・萬福寺(布袋尊)

なぜ六波羅蜜寺で弁才天を祀っているのかなあ、と思っていましたが
尼崎の大覚寺に行ってわかりました。

●弁才天は琵琶法師の守護神だった。


大覚寺では節分の日に「大覚寺身振り狂言」を行っています。
セリフのないパントマイム劇です。
京都の壬生寺や千本閻魔堂でも節分の日に狂言(大念仏狂言)を行っていますね。
(壬生狂言にはセリフがありませんが、千本閻魔堂狂言にはセリフがあります。)

閻魔庁・湯立などの演目は京都の大念仏狂言にもあります。
しかし「十王堂」という演目は大覚寺だけのもので、他では見ることができません。

それもそのはず、大覚寺に伝わる伝説をテーマにした新作狂言なのです。

大覚寺 狂言 十王堂

大覚寺身振り狂言 十王堂

パントマイム劇でセリフがないもんで、ちょっと話の筋がわからないところもあったんですが~(すいません!)
「十王堂」は大覚寺に伝わる次のような伝説をベースに作られたものだそうです。

ひとりの盲人が京に戻る途中、酒を飲まされ、酔って寝てしまいました。
酒を飲ませた海賊夫婦は盲人の懐から多額の金銭を盗みました。
ところがその報いで夫婦はわが子を失い、償いのため、大覚寺に琵琶法師を祀る十王堂を建てました。


琵琶法師を祀る十王堂を建てたということは、海賊夫婦は琵琶法師を殺したんでしょうか?
また十王とは地獄でもう序の審判を行う十尊のことですが、なぜ十王堂に琵琶法師を祀ったのでしょうか?

それはともかく、狂言では琵琶法師が琵琶をひいていると弁才天が現れて一緒に琵琶を弾きだすという筋になっていました。

弁才天には 8臂像(腕が8本)と2臂像(腕が2本)があります。
8臂像は弓・矢・刀・矛・斧・長杵・鉄輪・羂索を持ちます。
そして2臂像は琵琶を持っています。

大覚寺狂言に登場した弁才天は2臂像で、琵琶をもっていました。
弁才天は琵琶を持っているところから琵琶法師の守護神とされたようです。

大覚寺身振り狂言 十王堂2jpg 
大覚寺身振り狂言 十王堂
※向かって左、オレンジ色の着物を着ているのが弁才天です。

●平家ゆかりの地だった六波羅

六波羅蜜寺の話に戻りますが、かつて六波羅蜜寺の付近は平家の邸宅が立ち並んでいたところでした。
しかし平家滅亡のとき、平家は自ら火を放ち、邸宅は燃えて焼野原となってしまったのです。

平家物語は「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり」という有名なフレーズで始まりますが
祇園精舎の鐘とは六波羅蜜寺の近くにある六道珍皇寺の迎え鐘のことだと私は考えています。
詳しくはこちらの記事をお読みいただけると嬉しいです。↓
六波羅蜜寺 萬燈会 六道珍皇寺 迎鐘  『祇園精舎の鐘とは六道珍皇寺の迎鐘だった?』 

平家物語は盲目の琵琶法師によって語られました。
かつて六波羅蜜寺の付近では琵琶法師が平家物語を弾き語っていたのではないでしょうか。
なんといっても、六波羅は平家ゆかりの土地なので。

そして琵琶法師の守護神として六波羅蜜寺で弁財天を祀るようになったのではないでしょうか?


大覚寺 狂言 十王堂3
大覚寺身振り狂言 十王堂



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[2016/02/07 00:00] 兵庫の祭 | トラックバック(-) | コメント(-)

生田神社 夏越大祓式 『松の木が一本もない生田の森』 

生田神社 夏越大祓式2 

7月15日午後5時より、生田神社では夏越大祓式を行っています。
神職さんや浴衣姿の参拝者が茅の輪潜りを行って、穢れを清めていました。



日本書紀に次のような話が記されています。

201年、神功皇后が三韓外征を行った帰途、神戸港で船が進まなくなり、占いを行いました。
その際、稚日女尊(わかひるめのみこと)が現れて次のように言いました。
「私は“いくた”の“ながさの国に鎮座したいので、海上五十狭茅(うなかみのいそさち)に生田の土地に祀らせて欲しい。」と。


稚日女尊とは天照大神の分身だとか、和霊だといわれています。

当初は布引山(砂山(いさごやま))に祀られていましたが、799年4月9日に大洪水がおこって砂山が崩れたため、生田の森(現在地)に移転しました。


生田神社 巫女さん

上の写真は生田の森です。
茅の輪潜りをしたあと、生田の森で千燈祭が行われ、参拝者たちが蝋燭を献じていました。

この生田の森には松の木は一本も植えられていないそうです。
それは大洪水の際、社の周囲に植えられていた松の木が全く洪水を防がなかったためだそうです。
そればかりか元旦の門松もたてず、その代わりに杉飾りをたてるといいう徹底ぶり~。

生田神社・・・兵庫県神戸市中央区下山手通1丁目2-1
 夏越大祓式・・・7月15日



[2014/07/20 20:00] 兵庫の祭 | トラックバック(-) | コメント(-)