
メタセコイアの並木
雨のち虹。

↑ これは結露ソフトフィルターで撮影w
平安時代だったかに藤原なんちゃらが「虹が出た場所に市をたてた」というネット記事を読んだ記憶があります。
ところがその後、記事を探しても見つからない!
この件に関して何かご存じの方、おられましたら是非ご一報ください。
さて、なぜ虹が出ると市を立てるのでしょう?
こんなに美しい虹ですが、古にはまがまがしいものだと考えられていたようです。
そして、市(いち)とは斎(いつき)の事であると聞いたことがあります。
斎とは「心身を清めて神に仕えること」です。
もしかしたら市とは、もともとは物品の売買を行うことで、市によって穢れが浄められると考えられていたのかも?
たとえば各地の天満宮で鷽替神事が行われています。
嘘替神事とは「変えましょう、変えましょう」といいながら、隣近所の人と鷽鳥の入った紙包みを何度も交換しあいます。
この神事によって「嘘が誠に変えられる」と考えられていました。
交換することで穢れが浄められるというような信仰があって鷽替神事が生まれたのかもしれませんね。
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彦根城・・・滋賀県彦根市金亀町1-1
彦根城のライトアップ、前見たときはナチュラルカラーだったけど、この日は青でした。
↓ これは以前撮影したやつ。

。
塀は家紋が浮かび上がるライトアップ。
井伊家の家紋「丸に橘」に似てるけど、下手の部分がちょっとちがいます。
井伊橘というそうですよ。「彦根橘」ともいうそうです。
ただし、写真の青海波の模様は付け加えた者で、本来はないみたいです。
彦根城主は基本的には伊井家でした。
井伊直政の養母は井伊直虎で井伊家の祖とされているんだとか。
この直虎は井戸から橘を持って生まれたので、家紋を橘にしたといわれています。
以上、自分用メモでしたw
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多賀大社・・・滋賀県犬上郡多賀町多賀604
秋の訪れをつげる蕎麦の花

これは何の花かな?↓
ここで採れた蕎麦の実が寿命蕎麦になるのかな?
多賀大社境内にある寿命蕎麦の店 ↓
あいにくお腹いっぱいで、食べられなかったw
次回はお腹すかして参拝しよう。
寿命蕎麦という名前は、境内にある寿命石からつけられたのでしょう。↓
鎌倉時代、僧・重源は61歳のとき、東大寺再建を願って伊勢神宮に17日間参籠しました。
擦ると天照大神があらわれて、「東大寺再建のため寿命を延ばしたいなら、多賀神に祈願しなさい」と告ました。
重源が多賀社に参拝すると「莚」の字の形に虫食いあとのある柏の葉が舞い落ちてきた。
莚=廿(二十)+延
なので、寿命が二十年伸びるということだ!
と重源は喜んだ。
重源はこののち20年の歳月をかけて東大寺再建をはたしたあと、多賀大社にお礼参りにやってきて石に座ってそのまま亡くなったといいます。
多賀大社休憩所より多賀大社拝殿を望む。↑
さざれ石
わが君は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで
君が代の元歌です。
岐阜県揖斐川町春日には君が代の由来となったといわれるさざれ石があり、藤原朝臣石位左衛門が詠んだ歌だとして次のように伝えられているのだとか。
惟喬親王に仕えていた木地師の藤原朝臣石位左衛門は、親王より「よい椀生地を探せ」と命じられました。
そこであちこち探し回って春日村を発見し、ここに移り住みました。
石位左衛門は春日村と京を行き来する途中で「さざれ石」を発見して
♪ わが君は 千代に八千代に さざれ石の 磐となりて 苔のむすまで
と詠みました。
木地師の藤原朝臣石位左衛門のいう「わが君」とは惟喬親王のことだと考えるのが自然でしょう。
多賀大社のさざれ石は岐阜県揖斐川町春日産のものです。
多賀大社 御神田
実りの秋ですね~
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