滋賀県犬上郡 多賀大社
万灯祭・・・8月5日
異形の者たちのカーニバルが始まった!
①弓の弦で切って作る糸切餅
↑ 多賀大社門前にある『多賀や』さん。
『糸切餅の看板が目をひきますね。
糸切餅は長く引き伸ばした米粉のお餅を三味線の弦で切って作ります。
もともとは三味線の弦ではなく、弓の弦で切っていたそうです。
それで糸切餅というんですね。
糸切餅の起源は約700年前の「蒙古襲来」にまで遡ると言われます。
1274年と1281年の2度にわたり、蒙古(モンゴル帝国)が日本にせめて来ました。
しかし神風が吹いて、蒙古は撤退しました。
その後、人々は蒙古が撤退したのは神のご加護があったからだと考えて、多賀大社にお供え物をしました。
その中に糸切餅があったということです。
赤と青の三本線は蒙古軍旗を模したものなのだとか。
それはともかく、「弓の弦で切っていた」と聞いて私は心臓バクバク状態に!
その理由とは?
②多賀大社の奥の院『胡宮神社』の『胡』とはどういう意味?多賀大社の近くにある胡宮神社は多賀大社の奥の院ともいわれています。
胡宮神社多賀大社は胡宮神社や胡宮神社の「胡」という漢字と関係が深いと考えられます。(意味なく神社の名前をつけたりはしないでしょう。)
この胡宮神社の「胡」という漢字を漢和辞典で調べてみたところ、次のように記されていました。
①獣のあご。垂れ下がった顎の肉。
②くび
③なんぞ。なに。いずくんぞ。
④いのちがながい。としより。おきな。
⑤とおい。はるか。
⑥えびす。北方の異民族の名。
⑦昔の中国で、外国から渡来したものをいう。
⑧祭器。
⑨でたらめのこと。
⑩ほこの首。ほこの先に曲がってわきに出たもの。
角川漢和中辞典(昭和51年 161版)より。
④いのちがながい。としより。おきな。
とありますが、多賀大社は延命にご利益があると信仰されています。
⑥えびす。北方の異民族の名。
⑦昔の中国で、外国から渡来したものをいう。
日本にとって蒙古は外国からやってきた異民族です。
多賀大社=胡宮神社=胡の神を祀る神社=異民族の神をまつる神社
日本では古来より怨霊を神として祀る習慣がありました。
たとえばスサノオはもともとは恐ろしい流行り病をもたらす疫神なのですが、厄病除けの神として信仰されています。
つまり、疫神であるスサノオに「私を疫病にかからないようにしてください」と拝むわけです。
これと同じように、異民族である蒙古がせめてきたとき、異民族の神・多賀大社の神様に「異民族である蒙古より我々を守ってください」と祈ったのではないでしょうか。
②くび
多賀大社には杓子(しゃもじ)をお供えする習慣があります。
多賀大社の門前で糸切餅を販売している『多賀や』さんの看板も杓子です。
なぜ多賀大社に杓子をお供えする習慣があるのでしょうか?
多賀大社=胡宮神社=胡の神を祀る神社=首(ドクロ)の神を祀る神社
という発想から杓子が奉納されたのではないかと思います。
杓子って人間の頭部と首を連想させる形をしているではありませんか。
③弓で弾く楽器を胡弓というのはなぜ?
胡弓という楽器があります。
三味線に似ていますが、三味線と違って弓で弾きます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%83%A1%E5%BC%93#/media/File:Playing_on_Samisen,_Yokin_and_Kokin.jpg
動画お借りしました。動画主さんありがとうございます!四角い箱に柄がついたような形をしていて、杓子に似ていますね。
また胴体から切り離した頭部(首・ドクロ)にも似ています。
それで胡弓という名前がつけられたのではないでしょうか。
琉球には胡弓(クーチョー)という楽器がありますが、やはり弓で弾きます。
琉球の胡弓は昔は椰子の実を割って胴にしていたというので、日本の胡弓よりさらに頭部(首・ドクロ)のイメージに近いです。
さらに、擦弦楽器を総称して胡弓と呼ぶこともあり、明治初期にはバイオリンのことも胡弓といっていたようです。
つまり弓でひくものが胡弓であり、似たような形をしていてもバチで弾いて音を出す三味線には胡という漢字は用いられないのです。
これはなぜでしょうか?
それは弓でひくことに、首を刀などで切断しているイメージがあるからではないでしょうか?
中国の楽器・二胡も弓で弾き、「胡」の文字が使われていますね。
④糸切餅は胡弓の弓で切っていた?ここで糸切餅のデザインを思い出してください。
胡弓には弦が3本あります。糸切餅の3本の線は、蒙古の旗だと言いますが、本当は胡弓の3本の弦をイメージしたものではないでしょうか。
そして、糸切餅は現在は三味線の弦で切っていますが、もともとは弓の弦で切っていたのでしたね。
弓は弓でも、胡弓の弓で切っていたのではないでしょうか。
これが正しければ、糸切餅の起源は蒙古襲来よりも、時代が下って江戸時代ではないかなと思ったりします。
というのは、胡弓が歴史上に登場するのは江戸時代なので。
※まとめサイトなどへ無断で転載することはおやめください。
歴史ブログ・旅 free style もよろしくお願いします~。
毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!

にほんブログ村
[2018/08/14 14:35]
滋賀の祭 |
トラックバック(-) |
コメント(-)
滋賀県近江八幡市 篠田神社
篠田の花火 5月4日①篠田の花火
花火が打ちあがると同時に、篠田神社に松明を担いだ氏子さんたちがやってきました。
上の写真は合成ですが、神社のすぐ近くで花火をあげるのですごい迫力です!
風が吹くと花火が頭の真上に――!
松明を担いで数十分境内を練りまわし続けます。
打ち上げ花火が終わると松明を立て、仕掛け花火に点火します。

↑ これは洋火。
かわいらしい井伊直虎が現れました。

続いてナイアガラ。
↑ 和火(2017年)

↑ こちらは2014年度に撮影した和火。
②篠田神社と重蔵神社の松明
この松明、どこかで見たような形だなあ~?
そうそう、石川県輪島の重蔵神社の祭礼で用いられる松明によく似ていますね。
どちらも細長い胴体の先端に円盤状のものがついています。
重蔵神社 松明この形は何を意味しているのでしょうか?
③松明は男女和合を表している?私はいつもスケベ―な事ばかり考えているせいか、男女和合を意味する形に見えてしまう~。
つまり、細長い棒が男性のシンボル、円盤が女性のシンボルではないかと思ったりするわけです。

上の写真は三栖神社・炬火祭のたいまつです。
たいまつの先端におかめの面と日の丸を描いた扇を3つ広げて円形にしたものが飾られていますね。
これは「おかめ御幣」といって、関西の上棟式などで用いられます。
おかめ御幣のルーツは京都西陣の千本釈迦堂だと言われています。
千本釈迦堂には大工の棟梁と棟梁の妻・おかめの伝説が伝えられています。
千本釈迦堂の本堂を建てるとき棟梁が謝って柱を短く切ってしまいました。
妻の阿亀が柱の長さが足りない分を枡組を作って補ったらどうかとアドバイスし、本堂は完成しました。
しかし阿亀は女の助言を受け入れたことが知られたら夫の恥になると思い、本堂が完成する前に自害してしまいました。

千本釈迦堂では12月に大根炊を行っていますが、大根炊とはもともとは聖天さんの行事なのではないかと思います。
東京の待乳山聖天では1月に大根まつりを行ってふろふき大根が授与されていますね。

大聖歓喜天は象頭をした男女双体の神で、次のような伝説があります。
人々に祟りをもたらしていたビナヤキャは十一面観音の化身であるビナヤキャ女神に一目ぼれしビナヤキャ女神に結婚を申し込みます。
ビナヤキャ女神は「仏法守護を誓うならあなたと結婚しましょう」といいました。
ビナヤキャは仏法守護を誓い、ビナヤキャ女神と結ばれました。動画お借りしました。動画主さん、ありがとうございます。
神はその現れ方によって御霊(みたま)・和魂(にぎたま)・荒魂(あらたま)にわけられるといいます。
そして和魂は女神を、荒魂は男神を表すとする説があります。
すると御魂とは男女双体なのではないかと思うのです。
聖天さんの伝説は御霊・和魂・荒魂の関係をうまく説明していると思います。
すなわちビナヤキャは荒魂、ビナヤキャ女神は和魂で、男女和合することによって仏法守護の神になったという話だと思うのです。
御霊・・・神の本質・・・・・・・男女双体・・・聖天さん(ビナヤキャとビナヤキャ女神の男女双体の神)
和魂・・・神の和やかな側面・・・女神・・・・・ビナヤキャ女神
荒魂・・・神の荒々しい側面・・・男神・・・・・ビナヤキャそしてダン・ブラウンの「ダビンチコード」には、キリスト教ではΛは男性を、∨は女性を表すと書いてあったと思います。
Λは△、∨は▽といってもいいと思います。
ダビデの星(六芒星
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Hexagram.svg)は男女和合を表すものだと思います。
おかめの升組は凹の形をしていますが、これは女神(おかめそのもの)を表しているのではないでしょうか。
そして升組に組み合わせた柱は男神を表すものだと思います。(神様は1柱、2柱と数えますね。)
つまり、大工の棟梁はビナヤキャ、おかめはビナヤキャ女神とイメージが重ねられた結果、千本釈迦堂では聖天さんの行事である大根炊の行事を行っているのではないかという推理です。
そして三栖神社の大きな炬火は男神を、炬火の先端につけたおかめ御幣は女神を表しているのではないでしょうか。
また、男女和合(女神《和魂》と男神《荒魂》を和合させる)は怨霊を御霊(怨霊が祟らないように慰霊したもの)に転じる呪術だと思われるので
篠田神社や重蔵神社の祭礼において男女のシンボルを結合させた松明を作っているのではないかと思ったりします。
重蔵神社の祭礼では、『舳倉島の女神が松明の明かりを目指してやってきて、輪島の男神が結ばれ、産屋に見立てたお仮屋で新しい神様が産まれる』 と言われています。
重蔵神社の祭礼はまさしく男女和合の祭礼だといえますね。
[2017/05/08 19:03]
滋賀の祭 |
トラックバック(-) |
コメント(-)
滋賀県湖南市 善水寺
節分会星祭・・・2月3日
①善水寺 節分会星祭
護摩がたかれます。
鬼参上!
鬼は僧侶の法力によって三毒消除されます。
三毒とは、貪欲(むさぼりの毒)、瞋恚(しんに/いかりの毒)、愚痴(愚かさの毒)のことをさします。
②鬼熊手もう一度、2枚目の写真を見てください。青鬼は手に熊手を持っていますね。
なぜ青鬼は手に熊手を持っているのでしょうか?
調べてみると熊手は別名を鬼熊手ともいうようです。
妖怪・百鬼夜行シリーズ ← こちらのサイトには熊手という妖怪が紹介されています。『熊の手が妖怪に化けたもの』と説明されています。
③神武天皇、熊の化け物に出会って気絶する。日本書紀には次のような内容が記されています。
初代神武天皇は日向に住んでいましたが、あまりに国の端だということで、東征して畿内入りをめざしました。
白肩の津(東大阪付近?)で神武天皇は船を降りて上陸しましたが、地元の豪族・ナガスネヒコと戦って敗走しました。
神武天皇はいったん南に迂回して、そこから北上して畿内入りする計画をたてました。
神武は熊野で大きな熊の化け物にあい、毒気にあてられて気絶してしまいました。古の人々は熊を恐ろしい化け物であると考えたようです。
すると、青鬼は熊の妖怪なのかも?
④おまえ百まで、わしゃ九十九までまた「おまえ百までわしゃ九十九まで、共に白髪の生えるまで」と謡う俗謡があります。
これは謡曲『高砂』からくるものと考えられていますが、謡曲『高砂』では尉は『くまで』を、姥は『ほうき』を手に持っています。
尉が『くまで』を持っているのは『きゅうじゅう
くまで』という意味、
姥が『ほうき』を持っているのは『掃く→
ひゃく(百)』に掛けてあるといわれています。
⑤九十九(つくも)神ということは、『くまで』は『九十九』を意味するものであるとも考えられますが、『九十九』は『つくも』ともよみます。
『つくも』とは『次、百(つぎもも)』という意味だそうです。
そして器物は百年たつと精霊が憑いて妖怪になるとと考えられており、このような器物の妖怪のことを『つくも神(九十九神・付喪神)』といいます。
青鬼が熊手を持っているのは、鬼が『つくも神』であることを現しているのかも?
皆様はどう思われますか?
鬼のお加持毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!
※まとめサイトなどへ無断で転載することはおやめください。
歴史ブログ・
旅 free style もよろしくお願いします~。
いつも応援ありがとうございます♪
にほんブログ村
にほんブログ村
[2017/02/06 01:25]
滋賀の祭 |
トラックバック(-) |
コメント(-)
滋賀県大津市 延暦寺
鬼追式・・・12月31日 午後11時ごろより
深夜の行事で寒かったのですが、甘酒や大根焚の接待があり体がぽかぽか温もりました。
ありがとうございました♪
①延暦寺 追儺式
黄鬼は笑い鬼で、『むさぼりの心』を
青鬼が泣き鬼で『"ねたみ"の心』を
赤鬼は怒り鬼で"『怒りの心』を表しているそうです。
法師の法力によって心を入れ替えた赤鬼・青鬼・黄鬼は力を合わせて無明鬼を倒します。
灰色の着物に黒い面を被っているのが『無明鬼』です。
無明鬼が退治されるとまもなく、新年がやってきました。
②闇の神、厨房の神になる。追儺式のあと比叡山国宝殿に行ってみると、数点の大黒天像が安置されていました。
大黒天はもとはヒンズー教のマハーカーラという神でした。
マハーカーラとは『大いなる闇』という意味で、シヴァ神の化身とされ、破壊・戦闘の神でした。
ところがマハーカーラはしだいに厨房の神へと神格を変えていきました。
唐の僧義浄が著した「大唐南海寄帰内法伝」には
『インドの寺院の台所の柱には、金の袋を持ち、像高二尺から三尺(約60~90センチ)ほどのマハーカーラが祀られている。
油で拭かれて黒くなっている。 』
と記されています。
日本へは遣唐使だった最澄が持ち帰り、ここ延暦寺の厨房の神として祀ったのが最初と伝えられています。
③闇の神はなぜ厨房の神になったのか?マハーカーラはなぜ厨房の神となったのでしょうか?
厨房では火を扱うため、ときとして火事になることがあります。
マハーカーラは『大いなる闇』なので、火消しにぴったりの神として信仰されるようになったのではないでしょうか。
④無明鬼はマハーカーラだった?すると追儺式に登場する『無明鬼』とはマハーカーラ(大いなる闇)と同一神なのかも?
毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!
来年もよろしくお願いします。
※まとめサイトなどへ無断で転載することはおやめください。
いつも応援ありがとうございます♪
にほんブログ村
にほんブログ村
[2016/12/31 00:26]
滋賀の祭 |
トラックバック(-) |
コメント(-)
滋賀県大津市 天孫神社
大津祭 → 大津祭の歴史と日程
●大津祭の粽は食べられます。曳山から粽やてぬぐいなどが蒔かれます。
祇園祭の粽も昔はこんなふうに山鉾の上から撒いていたそうですね。
節分の豆なんかもそうですが、私はとろいのでようとらないんです。
でも友人がとった粽をくれました。(ありがとうー)
祇園祭の粽とちがって中にはおもちが入っていて食べられるんですよ~。
●分断されたタペストリー1613年、伊達政宗の命をうけて支倉常長がヨーロッパを訪問した際、5点シリーズのベルギーブリュッセル製タペストリーを貰い受けました。
この5点シリーズのうち2枚は分断され、それぞれ所有者が別になっています。
①加賀前田育徳会(東京)
②増上寺(東京)
③祇園祭(京都)鯉山
④分割されて祇園祭(京都)白楽天山・大津祭(滋賀)月宮殿山・龍門滝山へ。
⑤分割されて祇園祭鶏鉾・霰天神山(京都)・長浜曳山祭(滋賀)鳳凰山へ。
タペストリーを切ってしまうなんてケシカランと思いますが
他にも1919年に佐竹本三十六歌仙絵巻が歌人ごとに切り離されたりしていますね。
佐竹本三十六歌仙絵巻(鎌倉時代)が切り離されたのは、高価すぎて切り離さないと売れなかったためだそうです。
タペストリーが分断されたのもこのような経済的事情があったのかもしれません。
今は文化財保護法でそういうことは禁止されています。
●祇園祭鯉山
それではタペストリーを見てみましょう。たぶんオリジナルではなく、復元されたものだと思いますが。
まずは③の祇園祭鯉山から。

祇園祭は日本の伝統的な祭ですが、このタペストリーは全く日本的ではありません。
そのミスマッチ感がオモシロイ。
●祇園祭白楽天山・大津祭月宮殿山・龍門滝山次に④の分断されたタペストリーの写真を見てみましょう。
↑ 祇園祭 白楽天山 ↓
↑ 大津祭 月宮殿山
↑ 大津祭 龍門滝山タペストリーを分断するのはケシカランかもしれませんが、こうして遠く離れた別の場所にそれぞれが現存しているというのは感動的ですね。
●祇園祭鶏鉾・祇園祭霰天神山・長浜曳山祭鳳凰山⑤の祇園祭鶏鉾・園祭霰天神山・長浜曳山祭鳳凰山の写真にいってみよー。
※長浜曳山祭は行ったことがないので、長浜曳山祭の鳳凰山はこちらをご覧ください。↓
http://www.nagahama-hikiyama.or.jp/introduction/houou.php
↑ 祇園祭 鶏鉾
↑ 祇園祭 霰天神山●ギリシャの神々と日本の神々を習合しちゃった?祇園祭は八坂神社のお祭で、八坂神社の御祭神はスサノオ。
大津祭は天孫神社のお祭で、御祭神は彦火火出見尊です。
そのお祭にこの西洋的なタペストリーを用いるというのはある意味すごいです。
タペストリーはギリシャの詩人・ホメロが著した『イーリアス』『オデュッセイア』をテーマにしたもだそうです。
もしかして、昔の日本人はギリシャの神と日本の神を習合していたのかも?
●
ギリシャの神々と仏様も習合しちゃった?加賀前田育徳会と芝増上寺の2枚のタペストリーは伊達家から徳川家に献上されたものです。
その後、1枚は徳川家によって菩提寺だった増上寺に献上され、もう一枚は前田利常に徳川秀忠の次女が嫁いだ縁で徳川家から前田家に贈られたのではないか、と考えられています。
残念ながら芝増上寺のものは明治の火災で焼失してしまいました。
消失前は増上寺の本尊後ろにかけられていたそうです。
タペストリーがお寺の本尊の後ろにかけてあったというのはびっくりです。
日本人はインドの神様(仏教)も中国の神様(道鏡)も日本の神様もいっしょくたで、何でもかんでも習合して信仰してましたが
ギリシャの神様と仏さまも習合しちゃった、ということなんでしょうか?

毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!
※まとめサイトなどへ無断で転載することはおやめください。
いつも応援ありがとうございます♪
にほんブログ村
にほんブログ村
[2016/10/13 00:00]
滋賀の祭 |
トラックバック(-) |
コメント(-)
滋賀県米原市
米原曳山祭・・・体育の日を含む三連休 ●米原子供歌舞伎 古い民家が立ち並ぶ細い道を、曳山が曳かれてやってきます。
曳山は御殿のような造りになっていて、その中で子供歌舞伎が行われます。
↑ 2013年、松翁山で上演された「神霊矢口の渡し」です。
ヒロイン役の男の子の色っぽさにしびれます♡♡
j歌舞伎義太夫さんの語りもすばらしいです。
●人形振り
もともと人形浄瑠璃・文楽の演目だったものを歌舞伎の演目としたものがあります。
このような演目のものを「義太夫狂言(ぎだゆうきょうげん)」というそうです。
義太夫狂言では俳優が人形の動きをまねて演じる『人形振り』が演じられます。
●生き稚児は神の使い? 芝居が終わると大人の男性が子供の役者を抱きかかえて山からおろします。
祇園祭の長刀鉾に乗る生き稚児を剛力さんが肩に乗せて移動させるのと同じですね。
祇園祭 長刀鉾 祇園祭・長刀鉾には生き稚児と呼ばれる少年を乗せますが、そのほかの鉾(菊水鉾、月鉾、函谷鉾など)には人形が乗せられています。
これらの人形は生き稚児の代用で、もともとは長刀鉾と同様生き稚児を乗せていました。
祇園祭 函谷鉾(生き稚児ではなく、人形が乗せられています。)祇園祭の生き稚児や子供歌舞伎の俳優さんたちはは神の使いなので、地面に足をつけてはいけないと考えられたのではないでしょうか。
米原子供歌舞伎 寿山 ●童子は艮=鬼をあらわす? 少年が神聖視されたのは世俗に汚されていないためでしょうが、それだけではないと思います。
丑寅は方角では東北で、東北は鬼の出入りする方角=鬼門とされています。
また鬼の温羅は別名を丑寅御前といい、艮=丑寅は鬼そのものをさす言葉でもあったように思われます。
そして丑寅=艮は八卦では童子を表しています。
つまり、童子=艮=鬼、なのだと思います。
節分の鬼は結髪していませんが、結髪しないのは子供の髪型で童形(どうぎょう)といわれます。
千本釈迦堂 おかめ節分 京都・八瀬の人々は鬼の子孫と称し、かつては大人になっても結髪しない童形であったため八瀬童子と呼ばれていました。
ここから考えても、童子は鬼を表していると思います。
そして鬼は怨霊と言ってもいいと思いますが、日本では怨霊と神とは同義語であったといわれます。
怨霊=祟り神は祀り上げることでご利益を与えてくださる神に転じるというような信仰が古の日本にはあったのです。
子供歌舞伎に登場する少年たちは、鬼でありまた神であると信仰されていたのではないでしょうか。
↓舞台の縁側部分は折り畳み式になっていて、俳優さんが縁側を通るときは大人の男性が縁の下に入って縁側を支えます。
まさしく縁の下の力持ちですね。

ただ縁側を支えるというだけなら縁の下に太い柱などを置いてもよさそうなものです。
わざわざ人が支えているのは、その上で演技をする子供の役者さんたちを神聖視しているからではないでしょうか。
●『縁の下の力持ち』の語源
「縁の下の力持ち」の語源は大阪・四天王寺で経供養の際、聖霊院の庭で「縁の下の舞」が行われたことからくるとも言われています。
「縁の下」は建物の縁の下にある庭で行うことを意味しているのだと思います。
経供養の舞は昔は非公開だったそうで、そこから人目につかないところで骨を折ることに例えられたというのです。
四天王寺 経供養(この日は雨天のため、建物の中で行われました。)
今は誰でも経供養の舞を見学することができます。 案外、「縁の下の力持ち」の語源は米原子供歌舞伎の舞台を支える人の姿が語源なのかもよ。
※追記 友達に「これ踊ってるの?」と言われちゃったので解説しておきます。
ピンクの着物の女性が赤い着物の女性を小刀で刺そうとしたのを
赤い着物の女性が小刀を奪い、逆にピンク色の着物の女性の背中を刺すシーンです。
赤い着物の女性はピンク色の着物の女性に子供を殺されたので、その復讐なのかも。
わかりにくくてすいません~。
毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!
※まとめサイトなどへ無断で転載することはおやめください。
いつも応援ありがとうございます♪
にほんブログ村
にほんブログ村
[2016/10/12 00:00]
滋賀の祭 |
トラックバック(-) |
コメント(-)