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函館山 猿回し 『猿はなぜ馬の守護神とされたのか』 

 
賀県高島市 箱館山
2018年9月下旬 撮影


猿回し

①猿は馬の守護神

古くから猿は馬の守護神と考えられていました。(厩猿信仰)
猿が馬の守り神であるという信仰はインドから中国を経由して日本に伝えられたとされます。

正中年間(1324~1326)成立の石山寺縁起絵巻には、厩につながれた猿が描かれています。
中世より猿飼といって厩祈祷をする人々がおり、これが発展して猿回しになったそうです。

なぜ、猿は馬の守護神と考えられていたのでしょうか?
この理由には諸説あるようです。

猿回し  

②陰陽五行説からくる説

陰陽五行説では世の中全てのものは、木火土金水の5つの組み合わせで成り立つと考えます。

例えば季節では、春=木、夏=火、秋=金、冬=水と考えられていました。
季節は4つなので、木火土金水のうち土が余ってしまいますね。
土は季節の交代をスムーズにするものと考えられ、各季節の最後の18~19日間を『土用』として均等に割り振られました。
本来、土用は夏だけではなく、すべての季節にあるのです。


干支 

旧暦では
1月(寅)2月(卯)3月(辰)を春、
4月(巳)5月(午)6月(未)を夏、
7月(申)8月(酉)9月(戌)を秋、
10月(亥)11月(子)12月(丑)を冬としていました。

虎 1月巳 4月申 7月亥 10月
卯 2月午 5月酉 8月子 11月
辰 3月未 6月戌 9月丑 12月


そして陰陽道では世の中に存在する物全てに始まりがあり(生)、次に壮んになり(旺)、最後に終わる(墓)という気の循環があると考えるそうです。これを三合といいます。

三角



三合は上の図の大きな三角形が示すような関係になっています。

「申-子-辰」「巳-酉-丑」「寅-午-戌」「亥-卯-未」の4つのグループを三合というようですね。

火の三合は寅(生)・午(旺)・戌(墓)、水の三合は申(生)・子(旺)・辰(墓)となり、
厩猿信仰は、馬の火(旺)を猿の水(生)で制御しようという仕組みであると、吉野裕子氏はおっしゃっています。

えーーっ、なんで馬の火(旺)を子の水(旺)で制御しないの?
大量の水をかけて水浸しになったら困るから?
う~ん、なんかこじつけっぽいなあ?

③猿は十一面観音、馬は馬頭観音

猿は十一面観音、馬は馬頭観音であり、十一面観音によって馬頭観音を制御することができる、という信仰からくるのではないかと、思ったりします。

十一面観音で有名な像で、法華寺像があります。
光明皇后の姿を映したともいわれる美しい像ですが、特徴的なのはその腕の長さです。
この十一面観音は特別腕が長いですが、その他の十一面観音も腕が長いのが多いです。

Hokkeiji Nunnery Eleven-Headed Kwannon I (303)

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Hokkeiji_Nunnery_Eleven-Headed_Kwannon_I_(303).jpg
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/77/Hokkeiji_Nunnery_Eleven-Headed_Kwannon_I_%28303%29.jpg
Imperial Japanese Commission to the Panama-Pacific International Exposition [Public domain]



私はこの像を拝んだとき、失礼かもしれないですが、猿のようだ、と思いました。
猿は膝を曲げて立つので腕が長く見えるんですよね。

大阪天満宮 猿回し 

大阪天満宮にて

厩猿信仰はインドから中国を経て日本に伝わったということですが、中国にはキンシコウという金色の猿がいます。
日本猿も手が長いと思いますが、キンシコウはさらに腕が長いように見えます。
http://japanese.china.org.cn/photos/2018-08/06/content_58143845.htm

またインド神話に登場するハヌマーンという神猿の像は、顔が5つある姿で表されることがあり、十一面観音を思わせます。
インドや中国にはハヌマンラングールという猿が生息していますが、やはり手が長いです。







十一面観音は左手に花瓶を持っていることが多いです。
花瓶には蓮の花が活けられていますが、花瓶の中にはもちろん水が入っているでしょう。
また、水神は女神であることが多く、川や池のほとり二は弁財天や善女龍王が祀られています。
猿(十一面観音)=水と考えられます。

一方、馬頭観音は他の観音像が温和で女性的なお姿をされているのに対し、憤怒の表情をしています。
また光背には燃え盛る炎をデザインしたものが用いられることがあります。
すなわち、馬(馬頭観音)=火、といえます。

④ビナヤキャ女神=十一面観音、鬼王ビナヤキャ=馬頭観音?

大聖歓喜天というみほとけがいます。


Icon of Shoten

https://commons.wikimedia.org/wiki/File%3AIcon_of_Shoten.jpg
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/c7/Icon_of_Shoten.jpg よりお借りしました。
作者 不明 (平安時代の図像集『別尊雑記』(心覚 撰)巻 42より) [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由で


大聖歓喜天は象頭をした男女双体の神で、次のような伝説があります。

インドのマラケラレツ王は大根と牛肉が大好物でした。
牛を食べつくすと死人の肉を食べるようになり、死人の肉を食べつくすと生きた人間を食べるようになりました。 
群臣や人民が王に反旗を翻すと、王は鬼王ビナヤキャとなって飛び去ってしまいました。
その後ビナヤキャの祟りで国中に不幸なできごとが蔓延しました。
そこで十一面観音はビナヤキャ女神に姿を変え、ビナヤキャの前に現われました。
女神は『仏法を守護することを誓うならおまえのものになろう』と言い、ビナヤキャは仏法守護を誓いました。


この物語は、御霊・荒魂・和魂という概念をうまく表していると思います。

神はその現れ方で、御霊(神の本質)・荒魂(神の荒々しい側面)・和魂(神の和やかな側面)の3つに分けられるといわれます。
そして荒魂は男神を、和魂は女神を表すとする説があります。
すると神の本質である御霊とは男女双体ということになると思います。

御霊・・・神の本質・・・・・・・歓喜天・・・・・・・男女双体
荒魂・・・神の荒々しい側面・・・鬼王ビナヤキャ・・・男神
和魂・・・神の和やかな側面・・・ビナヤキャ女神・・・女神


またビナヤキャ女神が十一面観音の化身とあるところに注意してください。
鬼王ビナヤキャは馬頭観音のは化身であると考えられたのではないでしょうか。

御霊・・・神の本質・・・・・・・歓喜天・・・・・・・・・・・・・男女双体
荒魂・・・神の荒々しい側面・・・鬼王ビナヤキャ・・・馬頭観音・・・・男神(火の神)
和魂・・・神の和やかな側面・・・ビナヤキャ女神・・・十一面観音・・・女神(水の神)


猿回し 竹馬   

⑤妙性寺縁起

妙性寺縁起にはこんな伝説が伝えられていますよ。

晩年、小野小町は天橋立へ行く途中、三重の里・五十日(いかが・大宮町五十河)に住む上田甚兵衛宅に滞在し、「五十日」「日」の字を「火」に通じることから「河」と改めさせた。
すると、村に火事が亡くなり、女性は安産になった。
再び天橋立に向かおうとした小町は、長尾坂で腹痛を起こし、上田甚兵衛に背負われて村まで帰るが、辞世の歌を残して亡くなった。

九重の 花の都に住まわせで はかなや我は 三重にかくるる
(九重の宮中にある花の都にかつて住んだ私であるが、はかなくも三重の里で死ぬのですね。)
後に深草の少将が小町を慕ってやってきたが、やはり、この地で亡くなった。
(妙性寺縁起)


五十日→五十火→火事になる→五十河→河の水で火が消える→火止まる→ひとまる→人産まれる

このような語呂合わせのマジックで村の火事はなくなり、女性は安産になった。

火の神は荒魂で男神ですが、水の神は和魂で女神なので、火が止まり、さらに女神なので、火止まる→人産まれるというわけです。

猿回し2

⑥水克火

陰陽五行説には『相生説』と『相克説』があります。

『相生説』とは、五行が対立することなく、木火土金水の順で、五元素が順送りに相手を生じていくという説です。

『木生火』・・・・・・木は摩擦により火気を生ずる。
『火生土』・・・・・・火は燃焼して灰(土)を生ずる。
『土生金』・・・・・・土は金属を埋蔵している。
『金生水』・・・・・・金属は表面に水気を生ずる。
『水生木』・・・・・・水は植物(木)を育てる。


『相剋説』は五行同士が相互に反発し、木火土金水の順で、五元素が順送りに相手を剋していくとする説のことです。

『木剋土』・・・・・・木は土中の栄養を奪う。
『土剋水』・・・・・・土は水の流れをせきとめる。
『水剋火』・・・・・・水は火を消す。
『火剋金』・・・・・・金属は火に溶ける。
『金剋木』・・・・・・金(斧など)は木を切り倒す。


この『水剋火』という考え方により、水=十一面観音が火=馬頭観音を制御すると考えられたのではないでしょうか。

 
猿回し3  

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[2019/09/25 11:55] 滋賀の祭 | TB(0) | CM(0)

多賀大社 『糸切餅は胡弓をデザインしたものだった?」 

滋賀県犬上郡 多賀大社 
万灯祭・・・8月5日 

多賀大社 万灯祭 猿田彦 

多賀大社 万灯祭 翁 

多賀大社 万灯祭 獅子 
異形の者たちのカーニバルが始まった!

①弓の弦で切って作る糸切餅

多賀屋 

↑ 多賀大社門前にある『多賀や』さん。

多賀屋 糸切餅 看板 

『糸切餅の看板が目をひきますね。

糸切餅は長く引き伸ばした米粉のお餅を三味線の弦で切って作ります。
もともとは三味線の弦ではなく、弓の弦で切っていたそうです。
それで糸切餅というんですね。 
  
糸切餅の起源は約700年前の「蒙古襲来」にまで遡ると言われます。

1274年と1281年の2度にわたり、蒙古(モンゴル帝国)が日本にせめて来ました。
しかし神風が吹いて、蒙古は撤退しました。
その後、人々は蒙古が撤退したのは神のご加護があったからだと考えて、多賀大社にお供え物をしました。
その中に糸切餅があったということです。
赤と青の三本線は蒙古軍旗を模したものなのだとか。

それはともかく、「弓の弦で切っていた」と聞いて私は心臓バクバク状態に!

その理由とは?

多賀大社 万灯祭 

②多賀大社の奥の院『胡宮神社』の『胡』とはどういう意味?

多賀大社の近くにある胡宮神社は多賀大社の奥の院ともいわれています。

胡宮神社 鳥居 桜 
胡宮神社

多賀大社は胡宮神社や胡宮神社の「胡」という漢字と関係が深いと考えられます。(意味なく神社の名前をつけたりはしないでしょう。)

この胡宮神社の「胡」という漢字を漢和辞典で調べてみたところ、次のように記されていました。

獣のあご。垂れ下がった顎の肉。
②くび
③なんぞ。なに。いずくんぞ。
④いのちがながい。としより。おきな。
⑤とおい。はるか。
⑥えびす。北方の異民族の名。
⑦昔の中国で、外国から渡来したものをいう。
⑧祭器。
⑨でたらめのこと。
⑩ほこの首。ほこの先に曲がってわきに出たもの。
角川漢和中辞典(昭和51年 161版)より。

多賀大社 万灯祭 龍


④いのちがながい。としより。おきな。
とありますが、多賀大社は延命にご利益があると信仰されています。

⑥えびす。北方の異民族の名。
⑦昔の中国で、外国から渡来したものをいう。
日本にとって蒙古は外国からやってきた異民族です。
多賀大社=胡宮神社=胡の神を祀る神社=異民族の神をまつる神社

日本では古来より怨霊を神として祀る習慣がありました。
たとえばスサノオはもともとは恐ろしい流行り病をもたらす疫神なのですが、厄病除けの神として信仰されています。
つまり、疫神であるスサノオに「私を疫病にかからないようにしてください」と拝むわけです。

これと同じように、異民族である蒙古がせめてきたとき、異民族の神・多賀大社の神様に「異民族である蒙古より我々を守ってください」と祈ったのではないでしょうか。

②くび
多賀大社には杓子(しゃもじ)をお供えする習慣があります。
多賀大社の門前で糸切餅を販売している『多賀や』さんの看板も杓子です。

なぜ多賀大社に杓子をお供えする習慣があるのでしょうか?
多賀大社=胡宮神社=胡の神を祀る神社=首(ドクロ)の神を祀る神社
という発想から杓子が奉納されたのではないかと思います。

杓子って人間の頭部と首を連想させる形をしているではありませんか。

多賀大社 万灯祭 宙返り 

③弓で弾く楽器を胡弓というのはなぜ?

胡弓という楽器があります。
三味線に似ていますが、三味線と違って弓で弾きます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%83%A1%E5%BC%93#/media/File:Playing_on_Samisen,_Yokin_and_Kokin.jpg



動画お借りしました。動画主さんありがとうございます!


四角い箱に柄がついたような形をしていて、杓子に似ていますね。
また胴体から切り離した頭部(首・ドクロ)にも似ています。
それで胡弓という名前がつけられたのではないでしょうか。

琉球には胡弓(クーチョー)という楽器がありますが、やはり弓で弾きます。
琉球の胡弓は昔は椰子の実を割って胴にしていたというので、日本の胡弓よりさらに頭部(首・ドクロ)のイメージに近いです。

さらに、擦弦楽器を総称して胡弓と呼ぶこともあり、明治初期にはバイオリンのことも胡弓といっていたようです。

つまり弓でひくものが胡弓であり、似たような形をしていてもバチで弾いて音を出す三味線には胡という漢字は用いられないのです。
これはなぜでしょうか?

それは弓でひくことに、首を刀などで切断しているイメージがあるからではないでしょうか?

中国の楽器・二胡も弓で弾き、「胡」の文字が使われていますね。

多賀大社 万灯祭 宙返り2 

④糸切餅は胡弓の弓で切っていた?

ここで糸切餅のデザインを思い出してください。
胡弓には弦が3本あります。糸切餅の3本の線は、蒙古の旗だと言いますが、本当は胡弓の3本の弦をイメージしたものではないでしょうか。
そして、糸切餅は現在は三味線の弦で切っていますが、もともとは弓の弦で切っていたのでしたね。
弓は弓でも、胡弓の弓で切っていたのではないでしょうか。

これが正しければ、糸切餅の起源は蒙古襲来よりも、時代が下って江戸時代ではないかなと思ったりします。
というのは、胡弓が歴史上に登場するのは江戸時代なので。

 多賀大社 万灯祭 

多賀大社 万灯祭  
多賀大社 万灯祭 

多賀大社 万灯祭 猿楽 

多賀大社 万灯祭2 
多賀大社 万灯祭


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[2018/08/14 14:35] 滋賀の祭 | トラックバック(-) | コメント(-)

篠田の花火 『松明の形は男女和合の形?』 

 滋賀県近江八幡市 篠田神社
篠田の花火 5月4日


①篠田の花火

篠田の花火 松明

花火が打ちあがると同時に、篠田神社に松明を担いだ氏子さんたちがやってきました。
上の写真は合成ですが、神社のすぐ近くで花火をあげるのですごい迫力です!
風が吹くと花火が頭の真上に――!

篠田の花火 松明 
松明を担いで数十分境内を練りまわし続けます。

篠田の花火 松明をたてる

打ち上げ花火が終わると松明を立て、仕掛け花火に点火します。

篠田の花火 洋火 伊井直虎

↑ これは洋火。
かわいらしい井伊直虎が現れました。

篠田の花火

続いてナイアガラ。
 
篠田の花火 和火 
↑ 和火(2017年)

篠田の花火 和火 富士山と天女

 ↑ こちらは2014年度に撮影した和火。

②篠田神社と重蔵神社の松明


篠田の花火 ナイアガラ

この松明、どこかで見たような形だなあ~?

そうそう、石川県輪島の重蔵神社の祭礼で用いられる松明によく似ていますね。
どちらも細長い胴体の先端に円盤状のものがついています。

重蔵神社 松明
 
重蔵神社 松明


この形は何を意味しているのでしょうか?

③松明は男女和合を表している?

私はいつもスケベ―な事ばかり考えているせいか、男女和合を意味する形に見えてしまう~。
つまり、細長い棒が男性のシンボル、円盤が女性のシンボルではないかと思ったりするわけです。

三栖神社 炬火祭 大松明

上の写真は三栖神社・炬火祭のたいまつです。
たいまつの先端におかめの面と日の丸を描いた扇を3つ広げて円形にしたものが飾られていますね。

これは「おかめ御幣」といって、関西の上棟式などで用いられます。

おかめ御幣のルーツは京都西陣の千本釈迦堂だと言われています。
千本釈迦堂には大工の棟梁と棟梁の妻・おかめの伝説が伝えられています。

千本釈迦堂の本堂を建てるとき棟梁が謝って柱を短く切ってしまいました。
妻の阿亀が柱の長さが足りない分を枡組を作って補ったらどうかとアドバイスし、本堂は完成しました。
しかし阿亀は女の助言を受け入れたことが知られたら夫の恥になると思い、本堂が完成する前に自害してしまいました。
千本釈迦堂 大根焚
千本釈迦堂では12月に大根炊を行っていますが、大根炊とはもともとは聖天さんの行事なのではないかと思います。
東京の待乳山聖天では1月に大根まつりを行ってふろふき大根が授与されていますね。

待乳山聖天 ふろふき大根

大聖歓喜天は象頭をした男女双体の神で、次のような伝説があります。

人々に祟りをもたらしていたビナヤキャは十一面観音の化身であるビナヤキャ女神に一目ぼれしビナヤキャ女神に結婚を申し込みます。
ビナヤキャ女神は「仏法守護を誓うならあなたと結婚しましょう」といいました。
ビナヤキャは仏法守護を誓い、ビナヤキャ女神と結ばれました。




動画お借りしました。動画主さん、ありがとうございます。

神はその現れ方によって御霊(みたま)・和魂(にぎたま)・荒魂(あらたま)にわけられるといいます。
そして和魂は女神を、荒魂は男神を表すとする説があります。
すると御魂とは男女双体なのではないかと思うのです。

聖天さんの伝説は御霊・和魂・荒魂の関係をうまく説明していると思います。

すなわちビナヤキャは荒魂、ビナヤキャ女神は和魂で、男女和合することによって仏法守護の神になったという話だと思うのです。

御霊・・・神の本質・・・・・・・男女双体・・・聖天さん(ビナヤキャとビナヤキャ女神の男女双体の神)
和魂・・・神の和やかな側面・・・女神・・・・・ビナヤキャ女神
荒魂・・・神の荒々しい側面・・・男神・・・・・ビナヤキャ


そしてダン・ブラウンの「ダビンチコード」には、キリスト教ではΛは男性を、∨は女性を表すと書いてあったと思います。
Λは△、∨は▽といってもいいと思います。
ダビデの星(六芒星https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Hexagram.svg)は男女和合を表すものだと思います。

千本釈迦堂 升

おかめの升組は凹の形をしていますが、これは女神(おかめそのもの)を表しているのではないでしょうか。
そして升組に組み合わせた柱は男神を表すものだと思います。(神様は1柱、2柱と数えますね。)

つまり、大工の棟梁はビナヤキャ、おかめはビナヤキャ女神とイメージが重ねられた結果、千本釈迦堂では聖天さんの行事である大根炊の行事を行っているのではないかという推理です。

そして三栖神社の大きな炬火は男神を、炬火の先端につけたおかめ御幣は女神を表しているのではないでしょうか。

また、男女和合(女神《和魂》と男神《荒魂》を和合させる)は怨霊を御霊(怨霊が祟らないように慰霊したもの)に転じる呪術だと思われるので

篠田神社や重蔵神社の祭礼において男女のシンボルを結合させた松明を作っているのではないかと思ったりします。

重蔵神社の祭礼では、『舳倉島の女神が松明の明かりを目指してやってきて、輪島の男神が結ばれ、産屋に見立てたお仮屋で新しい神様が産まれる』 と言われています。
重蔵神社の祭礼はまさしく男女和合の祭礼だといえますね。

篠田の花火 燃える松明


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[2017/05/08 19:03] 滋賀の祭 | トラックバック(-) | コメント(-)

善水寺 節分会星祭 『青鬼はなぜ熊手を持っているの?』 

  滋賀県湖南市 善水寺
節分会星祭・・・2月3日


①善水寺 節分会星祭

善水寺 節分会星祭5

護摩がたかれます。

善水寺 節分会星祭3 

鬼参上!

善水寺 節分会星祭2 

鬼は僧侶の法力によって三毒消除されます。

善水寺 節分会星祭   

三毒とは、貪欲(むさぼりの毒)、瞋恚(しんに/いかりの毒)、愚痴(愚かさの毒)のことをさします。

善水寺 節分会星祭 豆まき 

②鬼熊手

もう一度、2枚目の写真を見てください。青鬼は手に熊手を持っていますね。
なぜ青鬼は手に熊手を持っているのでしょうか?

調べてみると熊手は別名を鬼熊手ともいうようです。
妖怪・百鬼夜行シリーズ ← こちらのサイトには熊手という妖怪が紹介されています。『熊の手が妖怪に化けたもの』と説明されています。

③神武天皇、熊の化け物に出会って気絶する。

日本書紀には次のような内容が記されています。

初代神武天皇は日向に住んでいましたが、あまりに国の端だということで、東征して畿内入りをめざしました。
白肩の津(東大阪付近?)で神武天皇は船を降りて上陸しましたが、地元の豪族・ナガスネヒコと戦って敗走しました。
神武天皇はいったん南に迂回して、そこから北上して畿内入りする計画をたてました。
神武は熊野で大きな熊の化け物にあい、毒気にあてられて気絶してしまいました。


古の人々は熊を恐ろしい化け物であると考えたようです。
すると、青鬼は熊の妖怪なのかも?

④おまえ百まで、わしゃ九十九まで

また「おまえ百までわしゃ九十九まで、共に白髪の生えるまで」と謡う俗謡があります。
これは謡曲『高砂』からくるものと考えられていますが、謡曲『高砂』では尉は『くまで』を、姥は『ほうき』を手に持っています。

尉が『くまで』を持っているのは『きゅうじゅうくまで』という意味、
姥が『ほうき』を持っているのは『掃く→ひゃく(百)』に掛けてあるといわれています。

善水寺 節分会星祭4
⑤九十九(つくも)神

ということは、『くまで』は『九十九』を意味するものであるとも考えられますが、『九十九』は『つくも』ともよみます。
『つくも』とは『次、百(つぎもも)』という意味だそうです。
そして器物は百年たつと精霊が憑いて妖怪になるとと考えられており、このような器物の妖怪のことを『つくも神(九十九神・付喪神)』といいます。
青鬼が熊手を持っているのは、鬼が『つくも神』であることを現しているのかも?

皆様はどう思われますか?

善水寺 節分会星祭6

鬼のお加持


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[2017/02/06 01:25] 滋賀の祭 | トラックバック(-) | コメント(-)

延暦寺 追儺式 『マハーカーラ(大いなる闇)はなぜ厨房の神になったのか』 

滋賀県大津市 延暦寺
鬼追式・・・12月31日 午後11時ごろより


深夜の行事で寒かったのですが、甘酒や大根焚の接待があり体がぽかぽか温もりました。
ありがとうございました♪

①延暦寺 追儺式

延暦寺 追儺式 黄鬼

黄鬼は笑い鬼で、『むさぼりの心』を

延暦寺 追儺式 青鬼

青鬼が泣き鬼で『"ねたみ"の心』を

延暦寺 追儺式 無明鬼と赤鬼
 
赤鬼は怒り鬼で"『怒りの心』を表しているそうです。

延暦寺 追儺式   
法師の法力によって心を入れ替えた赤鬼・青鬼・黄鬼は力を合わせて無明鬼を倒します。
灰色の着物に黒い面を被っているのが『無明鬼』です。

無明鬼が退治されるとまもなく、新年がやってきました。

②闇の神、厨房の神になる。


追儺式のあと比叡山国宝殿に行ってみると、数点の大黒天像が安置されていました。

大黒天はもとはヒンズー教のマハーカーラという神でした。
マハーカーラとは『大いなる闇』という意味で、シヴァ神の化身とされ、破壊・戦闘の神でした。
ところがマハーカーラはしだいに厨房の神へと神格を変えていきました。

唐の僧義浄が著した「大唐南海寄帰内法伝」には
『インドの寺院の台所の柱には、金の袋を持ち、像高二尺から三尺(約60~90センチ)ほどのマハーカーラが祀られている。
油で拭かれて黒くなっている。 』
と記されています。

日本へは遣唐使だった最澄が持ち帰り、ここ延暦寺の厨房の神として祀ったのが最初と伝えられています。

③闇の神はなぜ厨房の神になったのか?

マハーカーラはなぜ厨房の神となったのでしょうか?

厨房では火を扱うため、ときとして火事になることがあります。
マハーカーラは『大いなる闇』なので、火消しにぴったりの神として信仰されるようになったのではないでしょうか。

④無明鬼はマハーカーラだった?

すると追儺式に登場する『無明鬼』とはマハーカーラ(大いなる闇)と同一神なのかも?

延暦寺 追儺式2

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[2016/12/31 00:26] 滋賀の祭 | トラックバック(-) | コメント(-)

大津祭 曳山巡幸 『ギリシャの神様と日本の神様、仏様を習合しちゃった?』 

 
滋賀県大津市 天孫神社
大津祭 → 
大津祭の歴史と日程

大津祭2

●大津祭の粽は食べられます。

曳山から粽やてぬぐいなどが蒔かれます。
祇園祭の粽も昔はこんなふうに山鉾の上から撒いていたそうですね。

節分の豆なんかもそうですが、私はとろいのでようとらないんです。
でも友人がとった粽をくれました。(ありがとうー)
祇園祭の粽とちがって中にはおもちが入っていて食べられるんですよ~。

大津祭 獅子

●分断されたタペストリー

1613年、伊達政宗の命をうけて支倉常長がヨーロッパを訪問した際、5点シリーズのベルギーブリュッセル製タペストリーを貰い受けました。

この5点シリーズのうち2枚は分断され、それぞれ所有者が別になっています。

①加賀前田育徳会(東京)
②増上寺(東京)
③祇園祭(京都)鯉山
④分割されて祇園祭(京都)白楽天山・大津祭(滋賀)月宮殿山・龍門滝山へ。
⑤分割されて祇園祭鶏鉾・霰天神山(京都)・長浜曳山祭(滋賀)鳳凰山へ。

大津祭

タペストリーを切ってしまうなんてケシカランと思いますが
他にも1919年に佐竹本三十六歌仙絵巻が歌人ごとに切り離されたりしていますね。

佐竹本三十六歌仙絵巻(鎌倉時代)が切り離されたのは、高価すぎて切り離さないと売れなかったためだそうです。
タペストリーが分断されたのもこのような経済的事情があったのかもしれません。

今は文化財保護法でそういうことは禁止されています。

●祇園祭鯉山

それではタペストリーを見てみましょう。たぶんオリジナルではなく、復元されたものだと思いますが。
まずは③の祇園祭鯉山から。

祇園祭 鯉山

祇園祭は日本の伝統的な祭ですが、このタペストリーは全く日本的ではありません。
そのミスマッチ感がオモシロイ。

●祇園祭白楽天山・大津祭月宮殿山・龍門滝山

次に④の分断されたタペストリーの写真を見てみましょう。

祇園祭 白楽天山 

↑ 祇園祭 白楽天山
 ↓

祇園祭 白楽天山 タペストリー

大津祭 月宮殿山 

↑ 大津祭 月宮殿山

大津祭 龍門滝山

↑ 大津祭 龍門滝山

タペストリーを分断するのはケシカランかもしれませんが、こうして遠く離れた別の場所にそれぞれが現存しているというのは感動的ですね。

●祇園祭鶏鉾・祇園祭霰天神山・長浜曳山祭鳳凰山


⑤の祇園祭鶏鉾・園祭霰天神山・長浜曳山祭鳳凰山の写真にいってみよー。

※長浜曳山祭は行ったことがないので、長浜曳山祭の鳳凰山はこちらをご覧ください。↓
http://www.nagahama-hikiyama.or.jp/introduction/houou.php

祇園祭 鶏鉾

↑ 祇園祭 鶏鉾

祇園祭 霰天神山 

↑ 祇園祭 霰天神山


●ギリシャの神々と日本の神々を習合しちゃった?

祇園祭は八坂神社のお祭で、八坂神社の御祭神はスサノオ。
大津祭は天孫神社のお祭で、御祭神は彦火火出見尊です。
そのお祭にこの西洋的なタペストリーを用いるというのはある意味すごいです。

タペストリーはギリシャの詩人・ホメロが著した『イーリアス』『オデュッセイア』をテーマにしたもだそうです。
もしかして、昔の日本人はギリシャの神と日本の神を習合していたのかも?

大津祭 桜熊山 
ギリシャの神々と仏様も習合しちゃった?

加賀前田育徳会と芝増上寺の2枚のタペストリーは伊達家から徳川家に献上されたものです。
その後、1枚は徳川家によって菩提寺だった増上寺に献上され、もう一枚は前田利常に徳川秀忠の次女が嫁いだ縁で徳川家から前田家に贈られたのではないか、と考えられています。

残念ながら芝増上寺のものは明治の火災で焼失してしまいました。
消失前は増上寺の本尊後ろにかけられていたそうです。
タペストリーがお寺の本尊の後ろにかけてあったというのはびっくりです。

日本人はインドの神様(仏教)も中国の神様(道鏡)も日本の神様もいっしょくたで、何でもかんでも習合して信仰してましたが
ギリシャの神様と仏さまも習合しちゃった、ということなんでしょうか?


大津祭



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[2016/10/13 00:00] 滋賀の祭 | トラックバック(-) | コメント(-)

米原曳山祭 子供歌舞伎 『少年はなぜ神聖視されたのか』 ※追記あり 


滋賀県米原市 
米原曳山祭・・・体育の日を含む三連休


●米原子供歌舞伎

古い民家が立ち並ぶ細い道を、曳山が曳かれてやってきます。
曳山は御殿のような造りになっていて、その中で子供歌舞伎が行われます。 

米原子供歌舞伎 松翁山

↑ 2013年、松翁山で上演された「神霊矢口の渡し」です。
ヒロイン役の男の子の色っぽさにしびれます♡♡
j歌舞伎義太夫さんの語りもすばらしいです。

●人形振り

もともと人形浄瑠璃・文楽の演目だったものを歌舞伎の演目としたものがあります。
このような演目のものを「義太夫狂言(ぎだゆうきょうげん)」というそうです。
義太夫狂言では俳優が人形の動きをまねて演じる『人形振り』が演じられます。 

米原子供歌舞伎 松翁山-人形振り2   

米原子供歌舞伎 松翁山-人形振り

●生き稚児は神の使い?

芝居が終わると大人の男性が子供の役者を抱きかかえて山からおろします。
祇園祭の長刀鉾に乗る生き稚児を剛力さんが肩に乗せて移動させるのと同じですね。 

米原子供歌舞伎 松翁山2 

長刀鉾 生き稚児 

祇園祭 長刀鉾
 

祇園祭・長刀鉾には生き稚児と呼ばれる少年を乗せますが、そのほかの鉾(菊水鉾、月鉾、函谷鉾など)には人形が乗せられています。
これらの人形は生き稚児の代用で、もともとは長刀鉾と同様生き稚児を乗せていました。 

祇園祭 函谷鉾

祇園祭 函谷鉾(生き稚児ではなく、人形が乗せられています。)

祇園祭の生き稚児や子供歌舞伎の俳優さんたちはは神の使いなので、地面に足をつけてはいけないと考えられたのではないでしょうか。

米原子供歌舞伎 寿山 

米原子供歌舞伎 寿山 

●童子は艮=鬼をあらわす?

少年が神聖視されたのは世俗に汚されていないためでしょうが、それだけではないと思います。

丑寅は方角では東北で、東北は鬼の出入りする方角=鬼門とされています。
また鬼の温羅は別名を丑寅御前といい、艮=丑寅は鬼そのものをさす言葉でもあったように思われます。

そして丑寅=艮は八卦では童子を表しています。
つまり、童子=艮=鬼、なのだと思います。

節分の鬼は結髪していませんが、結髪しないのは子供の髪型で童形(どうぎょう)といわれます。 

千本釈迦堂 おかめ節分 鬼

千本釈迦堂 おかめ節分 

京都・八瀬の人々は鬼の子孫と称し、かつては大人になっても結髪しない童形であったため八瀬童子と呼ばれていました。
ここから考えても、童子は鬼を表していると思います。

そして鬼は怨霊と言ってもいいと思いますが、日本では怨霊と神とは同義語であったといわれます。
怨霊=祟り神は祀り上げることでご利益を与えてくださる神に転じるというような信仰が古の日本にはあったのです。

子供歌舞伎に登場する少年たちは、鬼でありまた神であると信仰されていたのではないでしょうか。

↓舞台の縁側部分は折り畳み式になっていて、俳優さんが縁側を通るときは大人の男性が縁の下に入って縁側を支えます。
まさしく縁の下の力持ちですね。 


米原子供歌舞伎 松翁山3

ただ縁側を支えるというだけなら縁の下に太い柱などを置いてもよさそうなものです。
わざわざ人が支えているのは、その上で演技をする子供の役者さんたちを神聖視しているからではないでしょうか。

●『縁の下の力持ち』の語源

「縁の下の力持ち」の語源は大阪・四天王寺で経供養の際、聖霊院の庭で「縁の下の舞」が行われたことからくるとも言われています。
「縁の下」は建物の縁の下にある庭で行うことを意味しているのだと思います。
経供養の舞は昔は非公開だったそうで、そこから人目につかないところで骨を折ることに例えられたというのです。

四天王寺 経供養 
四天王寺 経供養(この日は雨天のため、建物の中で行われました。)
今は誰でも経供養の舞を見学することができます。


案外、「縁の下の力持ち」の語源は米原子供歌舞伎の舞台を支える人の姿が語源なのかもよ。

米原子供歌舞伎 旭山  

※追記 友達に「これ踊ってるの?」と言われちゃったので解説しておきます。
ピンクの着物の女性が赤い着物の女性を小刀で刺そうとしたのを
赤い着物の女性が小刀を奪い、逆にピンク色の着物の女性の背中を刺すシーンです。
赤い着物の女性はピンク色の着物の女性に子供を殺されたので、その復讐なのかも。
わかりにくくてすいません~。


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[2016/10/12 00:00] 滋賀の祭 | トラックバック(-) | コメント(-)

豊国神社(長浜) 豊公祭 『日本のトラはなぜ絶滅してしまったの?』 


滋賀県長浜市 
豊国神社
豊公祭 2010年10月10日 撮影

豊国神社(長浜) 豊公祭7  
●セロリを日本に伝えた加藤清正

皆さんが一番好きな野菜は何ですか?
私はセロリが一番好きです♡
苦手だという人も多いですが、あの独特の香り。
茎のところを生でバリバリ・・・ああ~、おいしいーーー。
葉っぱをみりんと醤油で佃煮にしてもいいですね♪ ごはん何倍でも食べれてしまいます。

このセロリを日本に初めて持ち込んだのは加藤清正だといわれています。
加藤清正は豊臣秀吉の家臣で、朝鮮に出兵して日本に帰国する際、セロリを持ち帰ったというんですね。

豊国神社では豊臣秀吉のほか、この加藤清正や木村重成、事代主大神もお祀りしています。

豊国神社(長浜) 豊公祭6

●加藤清正の虎退治

また、加藤清正は朝鮮に出兵した際、虎退治をしたという伝説も残されています。
ウィキペディアには「本来は黒田長政とその家臣の逸話であるが、後世に清正の逸話にすりかえられている。」とありますが。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E8%97%A4%E6%B8%85%E6%AD%A3#.E6.96.87.E7.A6.84.E3.83.BB.E6.85.B6.E9.95.B7.E3.81.AE.E5.BD.B9より引用

豊国神社(長浜) 豊公祭3

●朝鮮にはアムールトラが生息していた。

昔、朝鮮にはアムールトラが生息していたそうです。
今も北朝鮮にはアムールトラがいるともいわれています。

しかし、現在では、アムールトラは絶滅の危機に瀕しており、個体数は500頭程度だといわれています。

豊国神社(長浜) 豊公祭2

日本書紀や万葉集やにも登場する虎

また日本書紀546年(欽名6年)には、妻子を伴って百済へ使した膳臣巴提便(かしわでのおみはてび)が我が子を奪ったトラを殺し、皮をはいで持ち帰ったと記されています。

万葉集にも虎を読んだ歌が3首あります。

虎に乗り、古屋を越えて青淵に 蛟龍(みつち)捕り来)む、剣太刀もが/境部王
(虎に乗り、古屋を超えて青い淵にいる蛟龍(龍になろうとしている動物。大洪水をおこすとされる。)をとらえることができる剣大刀があればいいのに。)


豊国神社(長浜) 豊公祭 

あとの2首は長歌で、一首は柿本人麻呂が詠んだ高市皇子の挽歌の中に「高市皇子が統率する軍が吹く笛の音が、吠える虎のようだ」とあります。

もう一首は「韓国のトラを生け捕りにして八つ持ってきなさい。その皮を畳にして平群の山で行われる薬猟の際に用いましょう」と詠んでいます。

「韓国のトラを生け捕りにして」とあるところを見ると、奈良時代の日本には虎はいなかったのでしょう。

飛鳥時代・奈良時代をさらにさかのぼる3世紀ごろの日本には邪馬台国という国があったと魏志倭人伝は記していますが
その中にも「牛・馬・虎・豹・羊・鵲(かささぎ)はいない。」と記されています。

 豊国神社(長浜) 豊公祭5

●大古の日本にはトラがいた。


かつて日本列島は大陸と陸続きだったといわれます。
朝鮮に虎がいたのなら、日本にも虎がいたのではないかと考えるのは当然のことでしょう。

 縄文時代よりさらに時代をさかのぼった洪積世後期の地層(静岡県。約2万年前)から人骨片と一緒にトラの化石が発見されているそうです。

豊国神社(長浜) 豊公祭4 

●絶滅した日本列島のトラ

どうやら日本列島のトラは絶滅したようです。
なぜ日本列島のトラは絶滅したのでしょうか?

ウィキペディアには次のように記されています。

アムールトラ1頭あたり1,000平方キロ(東京都の面積の半分)の森林が必要だとされるが、沿海地方では森林伐採が進みタイガの面積が30%も減少するなど、その生息地が脅かされている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%A9#.E7.B5.B6.E6.BB.85.E3.81.AE.E5.8D.B1.E6.A9.9F.E3.81.AB.E7.80.95.E3.81.99.E3.82.8B.E3.82.A2.E3.83.A0.E3.83.BC.E3.83.AB.E3.83.88.E3.83.A9
より引用

アムールトラは大型の肉食動物で、猪や鹿、熊などを捕食します。
1頭あたり1,000平方キロの森林が必要だというのは、アムールトラの食糧となるこれらの動物が1,000平方キロはないと十分に捕食できないということなのでしょう。

現在の日本の国土の面積は37万8000平方kmとされます。
アムールトラ一頭あたり1,000平方キロ必要とのことですので、37万8000平方kmを1,000平方kmで割ると
37万8000÷1000=378
となり、日本には378頭しか生息できないことになります。
また、3世紀ごろであっても日本列島の国土のすべてが森林というわけではなかったでしょうし、さらに生息できる頭数は減ります。

だけど朝鮮半島もそんなに広くはないですね。
虎が大陸から朝鮮半島に移動してくることができたということでしょうか?

豊国神社(長浜) 豊公祭 浅井三姉妹  
●アムールトラは日本の暑さに対応できなかった?

現在、アムールトラは寒冷な土地に生息しています。
現在、韓国にアムールトラはいないそうですが、韓国も日本に比べると寒いそうですね。(行ったことないので、わからないんですが)

http://www.asia-tourist.info/korea/trip/climate/climate01.html
↑ こちらにソウルの年間の気温をグラフにしたものがありました。
12月の最低気温は-3.4度、1月の最低温度気温は-6.1度、2月の最低気温は-4.1度となっています。
これは寒いですね!

また夏30度を超える月はありませんね。
夏35度を超えるのが当たり前の関西からすればものすごく涼しいです。

日本海流という暖流が流れているせいで、日本は韓国に比べて温暖だといわれています。
アムールトラは日本の暑さになじめなかったのかも?

また魏志倭人伝によると、「土地は温暖で、冬夏も生野菜を食べている。みな、裸足である。」と書いてあります。
もしかして3世紀ごろの日本は今より暖かかったのかな?

魏志倭人伝には「倭国の位置は會稽や東治の東」とも記されています。
(東治は東冶の間違いだとする説が有力です。)
これは現在の福建省あたりで、福建省の東は沖縄あたりになってしまいます。

それで邪馬台国は沖縄にあったとか、混一疆理歴代国都之図(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B7%B7%E4%B8%80%E7%96%86%E7%90%86%E6%AD%B4%E4%BB%A3%E5%9B%BD%E9%83%BD%E4%B9%8B%E5%9B%B3)のように3世紀の日本列島は南北が逆転しており、福建省の東あたりにあったという説もあります。





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[2016/10/11 00:00] 滋賀の祭 | トラックバック(-) | コメント(-)

建部大社 船幸祭 花火  『青垣と青柴垣と風葬』 

滋賀県大津市 武部大社
8月17日・・・船幸祭


 建部大社 船幸祭 船渡御 
船渡御。 
写真上部に写っているのは瀬田の唐橋です。 

建部大社 船幸祭 花火 

船の上から小さな花火が打ち上げられました。
こういうのも風情があっていいなあ~。 

 
建部大社 船幸祭 花火2 

午後8時20分ごろより花火が始まりました。
花火ってきれいだけど、夏の花火は送り火のようにも感じられてしみじみとした気持ちになりますね。 

 建部大社 船幸祭 神輿

  
●ヤマトタケルの御子が創祀した神社

建部大社は景行天皇46年にヤマトタケルの御子・建部稲依別命(タケベイナヨリワケノミコ)が創祀したと伝わっています。

建部稲依別命はヤマトタケルの妃・フタジヒメと東近江市五個荘伊野部町付近の箕作山に住んでおり、その地に父・ヤマトタケルを祀っていましたが、675年に近江の守護神として、現在地へ遷座したそうです。
ヤマトタケルは大和の生まれですが、近江と関係の深い人物だったのかもしれませんね。

建部大社 船幸祭 女神輿


●ヤマトタケルの東国平定にちなむ船幸祭


ヤマトタケルは父・景行天皇に命じられて九州の熊襲武、出雲の出雲武を征伐し、さらに東国を平定する旅にでかけます。
建部神社の船幸祭はその東国平定の旅にちなむものだと言われています。

●ヤマトタケルの死

ヤマトタケルはさらに伊吹山の神を征伐するために出かけますが、神の化身である白い大猪が氷雨を降らし、ヤマトタケルは病を患ってしまいます。
ヤマトタケルは病身で大和を目指し、能煩野(三重県亀山市〉で国偲び歌を詠んで亡くなりました。

倭は国のまほろば たたなづく青垣 山隠れる 倭し麗し
(大和はこの国の中でもっともすばらしいところ。山が重なりあって青垣のようだ。山に囲まれている。大和は美しい。)


●青垣と青柴垣と風葬


ここに青垣とありますが、私は青垣ときいて青柴垣を思い出してしまいます。

☆ ←こちらのサイトには次のように記されています。

「大国主神が国譲りして、「八十クマデに隠りましき」とありま すが、「クマデ」というのは、のち「青柴垣」と書かれるように、柴を沢山立て た中に死体が入っていたということです。
今でも土葬の周りにたくさん柴を立て る風習が紀伊半島、とくに高野山周辺の村村によく残っていて、高野山などの墓は青く茂っています。 」

ヤマトタケルが大和は青垣のようだと詠ったのは、「大和は風葬の際用いる青柴垣のように山が連なっていて、墓場にちょうどいい」という意味ではないかと思ったりします。

建部大社 船幸祭 花火3



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[2016/08/17 00:00] 滋賀の祭 | トラックバック(-) | コメント(-)

比叡山延暦寺 法灯花 琵琶湖花火大会 『茄子は銅の隠語?』  

滋賀県大津市 延暦寺
琵琶湖花火大会 8月8日 (
http://hanabi-map.com/shiga/biwako-hanabi/


もうだいぶ前のことですが、すごく暑い日だったので、比叡山延暦寺の夜間拝観に行こう、ということになりました。
比叡山は地上より数度気温が低くて避暑には最適です♪

延暦寺 根本中堂 

境内ではライトアップが行われていました。
大胆なカラーリングのライトアップにびっくり!

法灯花というイベントでしたが、ググっても昔の記事しか出てこないので、ここ数年は行われていないのではないかと思います・・・。

延暦寺 大日如来

延暦寺 千手観音 

延暦寺 阿弥陀如来 

延暦寺 阿弥陀三尊    

根本中堂は撮影禁止ですが、その他の仏像は写真撮影okということで撮らせていただきました。 

比叡山より琵琶湖花火大会を望む 
比叡山から琵琶湖花火大会のようすを眺めることができました!

●琵琶湖の源五郎鮒伝説

琵琶湖には次のようなの伝説がありますね。

源五郎が植えたナスビの苗は翌日には天まで届き、茄子(ナスビ)が鈴なりになっていました。
源五郎はつるを登って雲の上にいき、雷神の仕事を手伝って雲の上から水をまいて雨を降らせました。
ところがうっかり水が入った瓶をひっくりかえし、水は全部下界に落ちて琵琶湖になりました。
源五郎は湖で溺れている人を見て笑っていましたが、雲から落ちて湖にはまってしまいました。
源五郎は湖でもがいているうちに鮒になってしまいました。
これが琵琶湖の固有種の源五郎鮒です。


●茄子は銅の隠語?

源五郎は茄子の苗を植えたとありますが、茄子とは銅の隠語ではないかと私は考えています。

愛媛県から徳島県にかけ、銅山川と言う川が流れていますが、銅山川流域の愛媛県新居浜市には別子銅山がありました。
この川からほど近いところに「なすび平」という地名があります。
また栃木県の足尾銅山の近くには「那須高原」があります。

銅は酸化すると黒っぽくなったり、緑青がふいて青っぽくなったりしますが、もともとは新しい10円玉のように赤紫色をしています。
その色を茄子に喩えたのではないでしょうか。

坑道は百足の足のようにたくさん伸びていることから百足穴といわれています。
源五郎が植えた苗は翌日には茄子が鈴なりになったとありますが
鈴なりになった茄子もまた坑道の比喩ではないかとも思います。

●源五郎鮒と昆虫のゲンゴロウの共通点


ゲンゴロウという昆虫がいますが、源五郎鮒と昆虫のゲンゴロウには共通点があります。
どちらも菱型の体型をしているのです。

以前ネットで 「山相図・自然銅数種の図」というのを見たのですが(現在は公開されていないようです。)
キャラメルのような形をした銅が描かれていて、銅の上面や側面が菱型に見えていました。

 
図 
↑ こんな感じだったと思います。

また水銀の鉱脈がある山の絵にも菱形がたくさん並んでいました。

図2 

下手な図ですいません~!

おそらく辰砂(水銀)を露天掘にしたあとでしょう。
上から見ると長方形か正方形なのでしょうが、横から見るので菱形に見えているのだと思います。

菱形は鉱物を表しているのではないでしょうか。

滋賀県には土倉鉱山などがあり、銅の採掘がおこなわれていました。
源五郎の伝説はこのようなことを背景に作られたものではないかと思います。


●武田菱は鉱山を表す?

戦国武将武田氏の家紋は武田菱ですが
http://www2.harimaya.com/sengoku/bukemon/bk_taked.html
武田氏は金山を持っていたことで知られています。

武田菱も鉱山を表しているのではないでしょうか?

延暦寺 仏画 




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[2016/08/08 00:00] 滋賀の祭 | トラックバック(-) | コメント(-)