ユーチューブと写真の縦横比がちがうので、どうしようかと結構悩みます。
写真の縦の長さをちょっと短くしてみたりとか
余白を作って説明をいれてみたりとかw
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また動画(スライドショー)つくりました。
今日はこの機能試してみようか、などと考えながら
動画つくるのは楽しくてはまりそうです。
動画ラストのところは、gifアニメ風にしてみましたw
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獅子窟寺 『空海、星の神を鎮魂する修法を行う?』 ↑ こちらの記事に書きましたが、前回、獅子窟寺を参拝した際、獅子の岩の場所がわからず、参拝し損ねたので再び行ってきました。

山道は急な坂道。本堂まで、距離は大したことないんですが、最初のこの坂道で結構体力使ってしまいますw
牛臥石
本堂
社務所
社務所前から、大阪の町が望めます。
吹田市のオオサカホイールと太陽の塔も見えた!
獅子の岩(女岩)も参拝できました。

だけど、案内図見ると中興の墓の向こうに男岩というのもある?
これはわからなかったです~。
もしかして、これのことかな、とも思いますが ↓

この岩、獅子の岩のほぼ真上にあるんです。
案内図みると、男岩は獅子の岩の真上じゃないですよね~。(案内図がおかしいのかもw)
奥の院(磐座あるだけで建物あるわけじゃないです)に向かう道にもたくさん磐座あるんですけど、説明板とかないので、本当に迷います。(前回遭難しかけたし)
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大阪府堺市 家原寺
家原寺の近くに家原寺火葬場があり、広い墓地になっていました。
家原寺は行基が生まれたところとされていますが
行基さんは749年に喜光寺で81歳で入滅して、火葬されていますね。
お葉かは竹林寺にあるということです。
そんなわけで、家原寺火葬場付近の墓地は行基さんと何か関係あるんじゃないかな、と思ったりしました。
いつから墓地だったんでしょう?
古地図探してみようかな。
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大阪府堺市 家原寺

日本のピラミッド・土塔を見に来たついでに家原寺によってみました。
行基菩薩が生まれた場所だというのは知っていましたが、
こんなに広いお寺とは知らなんだ。
蓮が咲いてるのも知らなんだw
堺って深い~。
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九州で大雨による被害がでていますね。心よりお見舞い申し上げます。
河川の氾濫は毎年のようにでています。なんとかならないものでしょうか?

これは飛行機の窓から見た伊丹市の昆陽池。
灌漑用水として用いられるほか、洪水調節の役割も担っていました。
こんなのをたくさん作るというのも手じゃないかと思ったりしますがどうでしょう?
今日は七夕ですが、あいにくの雨です。
でも本来七夕は旧暦7月(新暦では8月くらい)のお盆の入りの行事ですから、旧暦7月7日に天の川眺めるといいかもですね。
これは大阪市交野市の天の川にかかる逢合橋。
牽牛と織姫が逢引をするとされる橋です。
なんちゅーか、あまりに普通の橋で、ひっきりなしに車が渡っていきますw
七夕の日は行事があるので笹飾りがたくさん飾られていました。

↑ 交野市にある機物神社。

枚方市にある中山観音寺跡。
中山観音寺跡と機物神社は天の川をはさんで対面しており
中山観音寺跡は牽牛星、機物神社は織女星になぞらえられています。
でも、結構距離ありますよ!
在原業平が惟喬親王のお供をして交野ケ原(現在の交野市・枚方市付近)にやってきてこんな歌を詠んでいますよ。
狩りくらし 棚機乙女(たなばたつめ)に宿からむ 天の河原にわれは来にけり
(1日中狩をして日が暮れてしまったので、今夜は織姫に宿をかりましょう。私たちは天の河原に着たのですから)天の川はどこにでもあるような普通の川でしたw
でも、在原業平や惟喬親王を思い浮かべながらの、楽しい旅でした。
逢合橋に関する記事はこちら。
逢合橋 梅 天の川 夕景 『かささぎが架ける橋は白黒モノトーン?大伴黒主の正体』 まとめサイトなどへ無断で転載することはおやめください。
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大阪府交野市 小松寺
①廃小松寺星田妙見宮 妙見河原 桜 『かつて織女石は北極星だった』 ↑ こちらの記事で、妙見山にある星田妙見宮と妙見山のふもと、妙見河原についてご紹介しました。
この妙見河原のそばに小松寺というお寺があります。
1703年まで、この付近(現在のゴルフクラブ四条畷あたり)に小松寺という、現在の小松寺とは別のお寺がありました。
かつてあった小松寺のほうは、廃寺となったようです。
廃小松寺は、845年に創建されたお寺で、真言宗東寺派のお寺であったといいます。
江戸時代の『続群書類従』にある「小松寺縁起」にはこんなことが記されているそうです。
小松寺は奈良時代の大地震で山崩れし、堂が谷底に転落して、星田郷の美しい青石で刻んだ石仏が地中に埋もれてしまいました。た。
1703年に本尊の十一面観音を星田神社に移して廃寺となったそうです。
現在の小松寺は法華宗本門で、1704年、耕雲院日応上人が創建したそうです。
廃寺となった小松寺を惜しんで、その名を継承したと伝えられます。
②廃小松寺と星田妙見宮の関係現在の小松寺からほど近いところに星田妙見宮があります。
星田妙見宮は別名を小松神社といいました。
江渡時代まで神仏は習合して信仰されていましたから、廃小松寺は星田妙見宮(小松神社)と関係が深いお寺だったのではないでしょうか。
星田妙見宮
③星が降る伝説は流星群をあらわしている?以前の記事で、こんな交野の伝説についてお話ししました。
嵯峨天皇の御代、弘仁年間(810~823年)に、弘法大師が獅子窟寺吉祥院の獅子の窟に入り、佛眼仏母尊の秘法を唱えたところ天上より七曜の星(北斗七星)が降り、
星の森・光林寺・星田妙見宮の三か所に落ちました。空海の秘宝は星を降らせるほど強力な呪術力を持っていたのか?
なーんて考えるのは、今の時代ナンセンスですよね。
星が降るというのは流れ星のことだと思います。
それも北斗七星が降ったというのですから、7個の星が降ったというこで、この伝説は流星群を物語にしたものではないかと思いました。
④七曜の星はこぐま座?流星群はたくさんあります。
しかし、北斗七星流星群とかおおぐま座流星群(北斗七星はおおぐま座を構成する星)というのはありません。
星田妙見宮 妙見河原 桜 『かつて織女石は北極星だった』 ↑ こちらの記事で、星田妙見宮に祀られている北斗七星の神々は本当は北極星を含む七つの星、こぐま座の神々ではないかと書きました。
このこぐま座であれば、こぐま座流星群というのがあります。
七曜の星は北斗七星とされますが、本当はこぐま座だったりしませんかね?
北辰とは天の北極のことですが、北辰信仰は天の北極のほか、北極星・北斗七星の信仰も含みます。
でも、もともと北辰信仰は天の北極、北極星、こぐま座の信仰だったとか?
下の図は星田妙見宮の旗に描かれていたイラストです。
玄武といって、北を司る、亀に蛇がまきついた想像上の聖獣です。
亀は北極星、蛇は北斗七星を表しているんじゃないかと考えていましたが
それはまちがいで、亀は北辰(天の北極)、蛇はこぐま座をあらわしいるんだったりして?
で、このこぐま座付近を放射点として流星群が見られるそうなんですね~。
⑤こぐま座流星群こぐま座流星群が見られる時期は12月17日~12月26日で、ピークは12月22日です。
12月22日は冬至じゃないですか!
冬至は太陽の南中高度が最も低くなる日です。
空の真南で1年で最も南中高度の低い太陽が昇ると、夜にはほぼ真北の空で流星群が降るのです。
この現象を昔の人はどんな風に感じたでしょう。
冬至の衰えた太陽が北の空に移動して流星となって散る。
そして冬至のあとに新しい太陽ができ、再び南中高度をあげていく。
とか考えていたなんてことないですかねw。
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