fc2ブログ














堀川戎神社 十日戎 ユーチューブ 





前回の動画
https://studio.youtube.com/video/jSZQ...
ブログ記事
http://kntryk.blog.fc2.com/blog-entry...

堀川戎神社や、榎木稲荷神社は今宮戎神社のように拝殿横の壁をたたいてお参りする習慣はありません。




※まとめサイトなどへ無断で転載することはおやめください。

歴史ブログ・
謎学の旅 もよろしくお願いします~。

毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!




にほんブログ村    







[2021/01/15 22:16] 大阪府 | TB(0) | CM(0)

お笑い神事 枚岡神社(東大阪市) ユーチューブ 





ユーチューブと写真の縦横比がちがうので、どうしようかと結構悩みます。
写真の縦の長さをちょっと短くしてみたりとか
余白を作って説明をいれてみたりとかw




※まとめサイトなどへ無断で転載することはおやめください。

歴史ブログ・旅 free style もよろしくお願いします~。

毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!




にほんブログ村    







[2021/01/08 14:58] 大阪府 | TB(0) | CM(0)

大阪・光の饗宴 

また動画(スライドショー)つくりました。
今日はこの機能試してみようか、などと考えながら
動画つくるのは楽しくてはまりそうです。

動画ラストのところは、gifアニメ風にしてみましたw






※まとめサイトなどへ無断で転載することはおやめください。

歴史ブログ・旅 free style もよろしくお願いします~。





にほんブログ村    







[2020/12/25 13:16] 大阪府 | TB(0) | CM(0)

獅子窟寺 紅葉 


獅子窟寺 『空海、星の神を鎮魂する修法を行う?』

↑ こちらの記事に書きましたが、前回、獅子窟寺を参拝した際、獅子の岩の場所がわからず、参拝し損ねたので再び行ってきました。

獅子窟寺 参道

山道は急な坂道。本堂まで、距離は大したことないんですが、最初のこの坂道で結構体力使ってしまいますw

獅子窟寺 牛臥石 
牛臥石

獅子窟寺 本堂 
本堂

獅子窟寺  
社務所

獅子窟寺より大阪の町を望む

社務所前から、大阪の町が望めます。

オオサカホイールと太陽の塔

吹田市のオオサカホイールと太陽の塔も見えた!

獅子窟寺 獅子の岩

獅子の岩(女岩)も参拝できました。

獅子窟寺 案内図

だけど、案内図見ると中興の墓の向こうに男岩というのもある?
これはわからなかったです~。

もしかして、これのことかな、とも思いますが ↓

獅子窟寺 マラ石?

この岩、獅子の岩のほぼ真上にあるんです。
案内図みると、男岩は獅子の岩の真上じゃないですよね~。(案内図がおかしいのかもw)


奥の院(磐座あるだけで建物あるわけじゃないです)に向かう道にもたくさん磐座あるんですけど、説明板とかないので、本当に迷います。(前回遭難しかけたし)







※まとめサイトなどへ無断で転載することはおやめください。

歴史ブログ・旅 free style もよろしくお願いします~。

毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!




にほんブログ村    






[2020/12/16 17:28] 大阪府 | TB(0) | CM(0)

家原寺 百日紅 柏葉紫陽花 


大阪府堺市 家原寺



家原寺 百日紅 

家原寺 柏葉紫陽花 


家原寺の近くに家原寺火葬場があり、広い墓地になっていました。
家原寺は行基が生まれたところとされていますが
行基さんは749年に喜光寺で81歳で入滅して、火葬されていますね。
お葉かは竹林寺にあるということです。

そんなわけで、家原寺火葬場付近の墓地は行基さんと何か関係あるんじゃないかな、と思ったりしました。
いつから墓地だったんでしょう?

古地図探してみようかな。





 まとめサイトなどへ無断で転載することはおやめください。

歴史ブログ・
旅 free style もよろしくお願いします~。

毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!




にほんブログ村


[2020/07/23 16:55] 大阪府 | TB(0) | CM(0)

家原寺 蓮 


大阪府堺市 家原寺

家原寺 蓮3 

家原寺 蓮


家原寺 蓮2 

日本のピラミッド・土塔を見に来たついでに家原寺によってみました。
行基菩薩が生まれた場所だというのは知っていましたが、
こんなに広いお寺とは知らなんだ。
蓮が咲いてるのも知らなんだw
堺って深い~。


まとめサイトなどへ無断で転載することはおやめください。

旅 free style ・ 調べてみた。考えてみた。
もよろしくお願いします~。





にほんブログ村







[2020/07/14 16:18] 大阪府 | TB(0) | CM(0)

逢合橋 と 天の川 

九州で大雨による被害がでていますね。心よりお見舞い申し上げます。
河川の氾濫は毎年のようにでています。なんとかならないものでしょうか?

昆陽池


これは飛行機の窓から見た伊丹市の昆陽池。
灌漑用水として用いられるほか、洪水調節の役割も担っていました。
こんなのをたくさん作るというのも手じゃないかと思ったりしますがどうでしょう?

今日は七夕ですが、あいにくの雨です。
でも本来七夕は旧暦7月(新暦では8月くらい)のお盆の入りの行事ですから、旧暦7月7日に天の川眺めるといいかもですね。

合逢橋 
これは大阪市交野市の天の川にかかる逢合橋。
牽牛と織姫が逢引をするとされる橋です。
なんちゅーか、あまりに普通の橋で、ひっきりなしに車が渡っていきますw
七夕の日は行事があるので笹飾りがたくさん飾られていました。

機物神社 七夕飾り

↑ 交野市にある機物神社。

観音山公園 牽牛 七夕飾り

枚方市にある中山観音寺跡。

中山観音寺跡と機物神社は天の川をはさんで対面しており
中山観音寺跡は牽牛星、機物神社は織女星になぞらえられています。
でも、結構距離ありますよ!


天の川2 
在原業平が惟喬親王のお供をして交野ケ原(現在の交野市・枚方市付近)にやってきてこんな歌を詠んでいますよ。

狩りくらし 棚機乙女(たなばたつめ)に宿からむ 天の河原にわれは来にけり
(1日中狩をして日が暮れてしまったので、今夜は織姫に宿をかりましょう。私たちは天の河原に着たのですから)


天の川はどこにでもあるような普通の川でしたw

天の川  
でも、在原業平や惟喬親王を思い浮かべながらの、楽しい旅でした。


逢合橋に関する記事はこちら。
逢合橋 梅 天の川 夕景 『かささぎが架ける橋は白黒モノトーン?大伴黒主の正体』 


 まとめサイトなどへ無断で転載することはおやめください。

歴史ブログ・
旅 free style もよろしくお願いします~。

毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!




にほんブログ村





[2020/07/07 18:11] 大阪府 | TB(0) | CM(0)

小松寺(しょうしょうじ) 桜 『空海が降らせた星の正体はこぐま座流星群だった?』 



大阪府交野市 小松寺

小松寺 
①廃小松寺


星田妙見宮 妙見河原 桜 『かつて織女石は北極星だった』 
↑ こちらの記事で、妙見山にある星田妙見宮と妙見山のふもと、妙見河原についてご紹介しました。
この妙見河原のそばに小松寺というお寺があります。

1703年まで、この付近(現在のゴルフクラブ四条畷あたり)に小松寺という、現在の小松寺とは別のお寺がありました。
かつてあった小松寺のほうは、廃寺となったようです。

廃小松寺は、845年に創建されたお寺で、真言宗東寺派のお寺であったといいます。

江戸時代の『続群書類従』にある「小松寺縁起」にはこんなことが記されているそうです。

小松寺は奈良時代の大地震で山崩れし、堂が谷底に転落して、星田郷の美しい青石で刻んだ石仏が地中に埋もれてしまいました。た。

1703年に本尊の十一面観音を星田神社に移して廃寺となったそうです。

現在の小松寺は法華宗本門で、1704年、耕雲院日応上人が創建したそうです。
廃寺となった小松寺を惜しんで、その名を継承したと伝えられます。

小松寺


②廃小松寺と星田妙見宮の関係

現在の小松寺からほど近いところに星田妙見宮があります。
星田妙見宮は別名を小松神社といいました。

江渡時代まで神仏は習合して信仰されていましたから、廃小松寺は星田妙見宮(小松神社)と関係が深いお寺だったのではないでしょうか。

星田妙見宮  
星田妙見宮

③星が降る伝説は流星群をあらわしている?


以前の記事で、こんな交野の伝説についてお話ししました。

嵯峨天皇の御代、弘仁年間(810~823年)に、弘法大師が獅子窟寺吉祥院の獅子の窟に入り、佛眼仏母尊の秘法を唱えたところ天上より七曜の星(北斗七星)が降り、
星の森・光林寺・星田妙見宮の三か所に落ちました。


空海の秘宝は星を降らせるほど強力な呪術力を持っていたのか?
なーんて考えるのは、今の時代ナンセンスですよね。

星が降るというのは流れ星のことだと思います。
それも北斗七星が降ったというのですから、7個の星が降ったというこで、この伝説は流星群を物語にしたものではないかと思いました。

小松寺2 

④七曜の星はこぐま座?

流星群はたくさんあります。

しかし、北斗七星流星群とかおおぐま座流星群(北斗七星はおおぐま座を構成する星)というのはありません。


星田妙見宮 妙見河原 桜 『かつて織女石は北極星だった』 
↑ こちらの記事で、星田妙見宮に祀られている北斗七星の神々は本当は北極星を含む七つの星、こぐま座の神々ではないかと書きました。


このこぐま座であれば、こぐま座流星群というのがあります。

七曜の星は北斗七星とされますが、本当はこぐま座だったりしませんかね?

北辰とは天の北極のことですが、北辰信仰は天の北極のほか、北極星・北斗七星の信仰も含みます。
でも、もともと北辰信仰は天の北極、北極星、こぐま座の信仰だったとか?

下の図は星田妙見宮の旗に描かれていたイラストです。
玄武といって、北を司る、亀に蛇がまきついた想像上の聖獣です。
亀は北極星、蛇は北斗七星を表しているんじゃないかと考えていましたが
それはまちがいで、亀は北辰(天の北極)、蛇はこぐま座をあらわしいるんだったりして?

星田妙見宮 旗のデザイン 


で、このこぐま座付近を放射点として流星群が見られるそうなんですね~。

こぐま座流星群 

⑤こぐま座流星群


こぐま座流星群が見られる時期は12月17日~12月26日で、ピークは12月22日です。
12月22日は冬至じゃないですか!

冬至は太陽の南中高度が最も低くなる日です。

空の真南で1年で最も南中高度の低い太陽が昇ると、夜にはほぼ真北の空で流星群が降るのです。

この現象を昔の人はどんな風に感じたでしょう。


冬至の衰えた太陽が北の空に移動して流星となって散る。
そして冬至のあとに新しい太陽ができ、再び南中高度をあげていく。


とか考えていたなんてことないですかねw。







※まとめサイトなどへ無断で転載することはおやめください。

歴史ブログ・旅 free style もよろしくお願いします~。

毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!





にほんブログ村











[2020/04/16 13:56] 大阪府 | TB(0) | CM(0)

星田妙見宮 妙見河原 桜 『かつて織女石は北極星だった』 


大阪府交野市 妙見河原 星田妙見宮

星田妙見宮  
①織女石は3つある?

前回、記事を書きながら気になっていたことがあります。
中山観音寺跡(観音山公園) しだれ桜 『北斗七星、織女星に変身する?』 

星田妙見宮 境内図

星田妙見宮 境内図 (案内板より)

上の図の①は「織女石、山上拝殿、鎮宅霊符社・三宝荒神社」と書かれています。
①の数字の下に石のようなものが描かれていますが、石のようなものはふたつありますね。

しかし、この付近を撮影した写真を見てみると石はひとつしかありません。

星田妙見宮 織女石

画像検索して他の方が撮影された写真も見てみましたがやはり、石はひとつしか写っていません。

https://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E6%98%9F%E7%94%B0%E5%A6%99%E8%A6%8B+%E7%B9%94%E5%A5%B3%E7%9F%B3&ei=UTF-8&ts=13708&aq=-1&ai=MjhQALdgS0yLnu6XIwcHdA&fr=top_ga1_sa

星田妙見宮のhpには『享和元年刊『河内名所図絵』にみる「星田妙見宮」』の図が掲載されていました。
https://www.hoshida-myoken.com/%E3%81%94%E7%94%B1%E7%B7%92/

この絵を見ると、やはり二つ石があるように見えます。
織女石の背後は茂みになっていますが、その茂みに隠れてもうひとつ石があるのではないでしょうか?

で、随分前に自分で撮影した写真を探してみたら、こんな写真が見つかりました。

星田妙見宮 巨岩

もう10年以上も前のことでよく覚えていないのですが(汗)
この写真は、星田妙見宮の織女石を撮影した5分後に撮影しています。
織女石を後ろから撮影したのかな?
でも石の周囲に木が生えているところを見ると織女石とは別の石のようにも思えます。
近いうちに再度確認しにいってきたいと思います。(すいません~)

また、星田妙見宮のhpに次のように記されています。

享和元年(1801)に刊行された『河内名所図絵』には「妙見祠 妙見山にあり。神躰巨石三箇、鼎の如く岐ちて、丘の如し。前に石の鳥井、拝殿、玉垣、石段あり、土人、織女石とも呼ぶ。

https://www.hoshida-myoken.com/%E3%81%94%E7%94%B1%E7%B7%92/ より引用

「神躰巨石三箇」とありますが、「箇という漢字には二つの意味があります。

1.物を数えるのに用いる助数詞。類義語:個・个「箇条・箇所」
2.この。これ。あの。あれ。物事や場所を指し示す語。

https://mojinavi.com/d/u7b87 より引用

ここでは1の意味だと思います。
「鼎」は「かなえ」とよみ、三本の脚がついた器、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BC%8E
「岐ちて」は「枝分かれして」という意味でしょうか。

つまり、こういう意味ではないかと思うのですが、どうでしょうか?

妙見祠が妙見山にある。ご神体は巨石三個、三本脚の器・鼎のように枝分かれして、丘のようである。
ご神体の前に石の鳥居、拝殿、玉垣、石段があり、地元の人々はご神体のことを織女石とも呼んでいる。


ご神体の巨石は2個ではなく3個ある?
で、その3つを総称して織女石と呼んでいるということではないでしょうか?

星田妙見宮 付近 
妙見河原

②北斗七星伝説


交野にはこんな伝説がありますよ。

嵯峨天皇の御代、弘仁年間(810~823年)に、弘法大師が獅子窟寺吉祥院の獅子の窟に入り、佛眼仏母尊の秘法を唱えたところ天上より七曜の星(北斗七星)が降り、
星の森・光林寺・星田妙見宮の三か所に落ちました。


北斗七星が3ヶ所に分かれて落ちた、ということは
3個+3個+1個とか、3個+2個+2個のようにおちたということも考えられます。
ですから、星田妙見宮に石が3個落ちたとしてもおかしくはないことになります。
あるいは一つの石が鼎のように枝分かれして3つの巨石になったということなのかもしれません。

③織女石は北極星または北辰(天の北極)をあらわす石では?

もう一度、星田妙見宮の境内図を見てみましょう。
織女石は妙見山のほぼ頂上に祀られていますね。

星田妙見宮 境内図

星田妙見宮 境内図 (案内板より)


星田妙見宮の妙見とは妙見大菩薩の妙見です。
妙見大菩薩とは北辰(天の北極)を神格化した菩薩です。
ということは、星田妙見宮は北極星を祀る神社ということになります。
(天之御中主を御祭神としていますが。天之御中主という神様は北極星の神様なのかもしれませんね。)

すると妙見山の頂上近くにある織女石は、織女星(ベガ)ではなく、北極星または北辰(天の北極)ではないかと思えます。

④北斗七星ではなくこぐまざの神々では?

そして、織女石へ向かう参道の坂には貪狼星・ 巨門星・ 禄存星・ 文曲・ 廉貞星・ 武曲星・ 破軍星が祀られています。
境内図に貪・ 巨・ 禄・ 文・ 廉・ 武・ 破と記されているのが貪狼星・ 巨門星・ 禄存星・ 文曲・ 廉貞星・ 武曲星・ 破軍星の七つの星の神を祀っている場所です。

星田妙見宮

貪狼星・ 巨門星・ 禄存星・ 文曲・ 廉貞星・ 武曲星・ 破軍星の七つの星神は北斗七星を形成する星々の神のようで、神像の台には北斗七星が描かれています。

ただし、この七柱の神々の配置は北斗七星の形にはなっていませんが。

ですが、この七柱の神々は北斗七星の神々ではなく、こぐま座の神々なんてことはないでしょうか?
現在の北極星はポラリスと呼ばれる星ですが、下図のようにポラリス(北極星)を含む七つの星がこぐま座を形成しているのです。

 こぐま座 北斗七星 カシオペア座 琴座


⑤天帝の七人の娘はこぐま座?

七夕伝説は次のようなものでした。

天帝には7人の娘がいました。
末娘の織姫は娘たちの中で最も美人で機織りが上手でした。
あるとき、天帝は彦星がまじめな性格であることを評価して、彼に牛の管理を任せることにしました。
いつしか彦星と織姫は恋仲に。
そして、恋愛に夢中になってそれぞれの仕事を怠るようになったのです。
天帝は怒って二人を引き離し、年に一度、7月7日の夜呑み逢瀬を許すことにしました。
織姫は天母によって天宮に連れ戻され、天母がかけた天の川によってふたりは会うことが出来なくなりました。
しかし天の川に千羽の鵲が橋を作って二人の逢瀬の手助けをしてくれました。


前回、私は天帝の七人の娘とは北斗七星のことではないかと書きました。
しかし、天帝の七人の娘とは北斗七星ではなくて、こぐま座かもしれません。

④歳差運動と変化する北極星

天帝とは天の北極を神格化したものですが、天の北極=ポラリスではありません。
ポラリスはわずかに天の北極からずれています。

また天の北極(北辰)の近くにある星のことを北極星といいますが、時期によって北極星は変わります。
北極星が変わるのは、地球が歳差運動といって下図のように独楽がぶれるような動きをしているためです。
地球の歳差運動の周期は約25800年です。

Gyroscope precession

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Gyroscope_precession.gif
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/82/Gyroscope_precession.gif
LucasVB [Public domain] 


この歳差運動が原因で北極星になる星がかわってくるのです。


Precession N

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Precession_N.gif
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/16/Precession_N.gif 
Tauʻolunga [CC BY-SA 2.5 (
https://creativecommons.org/licenses/by-sa/2.5)]

↑ 歳差による北極星の変遷の図を見ると、かなり大きな円を描いて北極星が変遷することに驚かされます。

上記図に+2000とか+4000とあるのは西暦だと思います。

紀元前1100年ごろにはこぐま座β星が天の北極に最も近い北極星でした。
こぐま座は上図+2000の文字の向かって左にある星(ポラリス)から緑色の線でつながる7個の星が形成する星座です。
こぐま座β星は-2000の文字の向かって左にある星です。

⑤ベガは北極星になる星

北辰は天の北極、織女石がこぐま座の七番目の星。
しかし、織女星とはベガのことです。
ベガは琴座で、こぐま座ではありませんし、北極星でもありません。
それなのに、なぜ天の北極を神格化した妙見菩薩の名前をつけた妙見山の山頂に織女石があるのでしょうか?

実はベガは時期によっては北極星になる星なのです。

Precession N

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Precession_N.gif
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/16/Precession_N.gif 
Tauʻolunga [CC BY-SA 2.5 (
https://creativecommons.org/licenses/by-sa/2.5)]

+14000とある左斜め下に大きな星がありますが、これがベガです。
今から12000年ほどすると歳差運動の影響でこのベガが北極星になります。
また今から14000年ほど前にはベガが北極星だった時代もあったということになります。

中国文明は紀元前4000年ごろに発祥したといわれ、天文学も古くから発達していました。
星々を観察することによって天の北極が変化することを知り、かつて織女星ベガが北極星であったことを知っていたのかも??
だとすると、すごいことですね。

星田妙見宮付近 
妙見河原(交野)



※まとめサイトなどへ無断で転載することはおやめください。

歴史ブログ・旅 free style もよろしくお願いします~。

毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!





にほんブログ村



[2020/03/30 14:37] 大阪府 | TB(0) | CM(0)

中山観音寺跡(観音山公園) しだれ桜 『北斗七星、織女星に変身する?』 

大阪府枚方市 中山観音寺跡(観音山公園)

中山観音寺跡

中山観音寺跡

かなり以前に撮影したものです。
天の川伝説の残る中山観音寺跡に咲く桜なので、勝手に「天の川桜」と命名しましたw。
数年前に行ってみたら、桜の枝がかなり切られていました。
台風で傷んでしまったのかも?
またもとどおりの美しい姿に回復することを願っています。

①アルタイルとベガになぞらえられた中山観音寺跡と機物神社

大阪府枚方市・交野市あたりを流れる川は天の川と呼ばれています。
天の川を挟んで中山観音寺跡と機物神社が対面しており
中山観音寺跡はアルタイル(彦星)、機物神社はベガになぞらえられているといわれます。

中山観音寺跡には牽牛石と呼ばれる石があります。

中山観音寺 牽牛石

牽牛石

それじゃあ機物神社には織女石があるのか?
そう思って、機物神社に参拝した際、神社の方に聞いてみましたが、「織女石はない」ということでした。
わったものですが、交野ケ原は日本における七夕伝説発祥の地だともいわれていますよ。
(ほかにも福島県宗像市大島など、七夕伝説発祥の地を称する場所は数か所あります。)


郡津駅の西側を南北に流れる川が天野川です。

上の地図の東側、第二京阪道路とJR片町線が交差するあたりに機物神社が、西側枚方市立開成小学校の文字の下あたりに中山観音寺跡(観音山公園)があります。
5kmほど離れているかな?



②もう一組あった、アルタイル&ベガになぞらえられた寺社

実はこのあたりにはもう一組、アルタイル&ベガになぞらえられた寺社があります。
天田神社と星田妙見宮です。



星田妙見宮 織女石

星田妙見宮 織女石

星田妙見宮は生駒山系の山にあり、長い階段を上っていったところに織女石と呼ばれる石があります。

星田妙見宮 境内図

星田妙見宮 境内図 (案内板より)

天田神社

天田神社

天田神社は平地の低い場所にあって周囲を田圃に囲まれています。境内に牽牛石と呼ばれるような石はありませんでした。
でも、上の写真の由緒書の後ろの石は、中山観音寺の牽牛石に形が似ています。
もしかして、これが牽牛石なのかなあ、なんて思いました。

③機物神社の織女石は交野山の磐座?

中山観音寺の牽牛石は、小高い丘の上にあります。
昔の境内図を見てみると、中山観音寺跡の周囲は田圃に囲まれています。

http://www.nihonnotoba3.sakura.ne.jp/2003toba/n_kannonji_mitori.jpg

機物神社に織女石があるとすれば、星田妙見宮と同じく高い場所にあるのではないか?
山の神は女神だといいますし。
そういえば、機物神社の背後には交野山があり、山頂に磐座があります。

これがもしかしたら機物神社の織女石なのかも?

交野山 
交野山

④天帝の7人の娘は北斗七星?

七夕伝説は次のように伝えています。

天帝には7人の娘がいました。
末娘の織姫は娘たちの中で最も美人で機織りが上手でした。
あるとき、天帝は彦星がまじめな性格であることを評価して、彼に牛の管理を任せることにしました。
いつしか彦星と織姫は恋仲に。
そして、恋愛に夢中になってそれぞれの仕事を怠るようになったのです。
天帝は怒って二人を引き離し、年に一度、7月7日の夜呑み逢瀬を許すことにしました。
織姫は天母によって天宮に連れ戻され、天母がかけた天の川によってふたりは会うことが出来なくなりました。
しかし天の川に千羽の鵲が橋を作って二人の逢瀬の手助けをしてくれました。


この話の中に天帝とでてきますが、天帝とは道教では天皇大帝のことをいいます。
天皇大帝とは北辰(天の北極)を神格化したものです。

さきほど星田妙見宮の話をしましたが、妙見大菩薩もまた北辰の神です。
ただし、天帝が道教の神であるのに対し、妙見大菩薩は仏教の神です。
しかし天帝と妙見大菩薩は習合して信仰されていました。

すると天帝の7人の娘とは北斗七星のことだと思われます。

もう1度、星田妙見宮の境内図を見てみましょう。

星田妙見宮 境内図

貪狼星・ 巨門星・ 禄存星・ 文曲・ 廉貞星・ 武曲星・ 破軍星の七つの星は北斗七星を形成する星々です。

星田妙見宮


なぜか北斗七星のひしゃく形の配置にはなっていませんが、北斗七星の神々は変形されることが多かったように思われます。

そしてこの北斗七星の神々のうちの一つの星が、織姫星に変身した、ということではないかと思います。

交野山 朝焼け 
中山観音寺跡付近より交野山を望む



※まとめサイトなどへ無断で転載することはおやめください。

歴史ブログ・旅 free style もよろしくお願いします~。

毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!





にほんブログ村






[2020/03/27 15:14] 大阪府 | TB(0) | CM(0)