浦安市郷土博物館 『昭和の浦安』 

千葉県浦安市 浦安市郷土博物館(撮影可)
2017年7月下旬撮影

浦安市郷土博物館では古い建物を移築して、昭和レトロな町並を再現しています。

①船宿

浦安市郷土博物館 船宿 
船宿とは屋形船や釣舟を操業する店のことです。
浦安には現在でも数件の船宿がありますよ。

②魚屋

浦安市郷土博物館 魚屋 
↑ 魚屋。

浦安市郷土博物館 階段 

ものすごく急な階段。

②煙草屋

浦安市郷土博物館 たばこや 

浦安市郷土博物館 たばこ屋 中 
 中は住居になっています。
レトロな瓶、ラジオ、ちゃぶ台などがいい雰囲気。

③寿司屋・料理屋

浦安市郷土博物館 寿司屋 

浦安市郷土博物館 てんぷら屋 
浦安市郷土博物館 エビスビール 

スビヱルービ(笑)

④漁師の小屋

浦安市郷土博物館 小屋 
漁業の道具を入れておく小屋。
手前の黒い部分には木材や木などを収納してありました。

浦安市郷土博物館 漁師の小屋の中

小屋の中。一見乱雑にみえるけど、取り出しやすいように収納が工夫されていますね。

浦安市郷土博物館 日よけ 
よしずの日よけ

⑤台所、トイレなど。

浦安市郷土博物館 流し台 

↑ 屋外に設置された流し台。「やんめ」って何だろう?

浦安市郷土博物館 へっついさん 

へっついさん

浦安市郷土博物館 レトロなレンジ 

薪をくべて使うレンジ。洗濯板。

浦安市郷土博物館 物干し台

物干し台

浦安市郷土博物館 トイレ

トイレ。
昔はトイレットペーパーなんてなくて、落とし紙を使っていたんですよね。

⑥銭湯

浦安市郷土博物館 銭湯 
ディズニーランドもいいけど、郷土博物館もいいよっ。
入場料タダだし。



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[2017/08/16 12:00] 千葉県 | トラックバック(-) | コメント(-)

浦安市郷土博物館 『浦安の海苔養殖と漁業』 

千葉県浦安市 浦安市郷土博物館(撮影可)
2017年7月下旬撮影


説明的な写真ばかりですが、おつきあいくださると嬉しいです。

①海苔の養殖

かつて浦安では海苔の養殖、アサリや蛤の養殖、漁業が盛んに行われていました。

浦安市郷土博物館 海苔ペット 

↑ 海苔ペット。
網についた海苔を、回転するカッターで刈り取り、掃除機のように吸い込む機械のようです。

浦安郷土博物館 海苔下駄 

↑ 海苔下駄。
花魁も真っ青な高い下駄ですね。

海中で海苔を成長させる道具のことをヒビといい、竹ヒビ・木ヒビ・網ヒビなどの種類がありました。
ヒビの図は下記サイトをごらんください。
https://www.city.edogawa.tokyo.jp/e_bunkazai/shiryoshitsu/hakken_sheet/agriculture.files/5-01.pdf#search=%27%E6%B5%B7%E8%8B%94%E9%A4%8A%E6%AE%96+%E7%B6%B2+%E8%88%9F%27

ヒビを建てる際、まず底におもりをつけた海苔下駄をはいて水中に立ち、二股になったまた棒を体の正面に立てます。

浦安市郷土博物館-また棒 

↑ 中央にある二股の棒が「また棒」です。

そして片足をまた棒のマタに移し、体重をかけて海底に突き刺し、穴をあげます。
こうしてあけた穴に竹ヒビをさしこみます。

浦安市郷土博物館 海苔ペット マタボウ 
↑ 浦安市郷土博物館に展示されていた写真。いい写真だなあ~。
向かって右の男性は海苔ペットを使って作業していますね。
向かって左の3人の男性は海苔下駄をはき、また棒を使って穴をあげる作業をされているのだと思います。

昭和20年ごろより船上からポンプを使ってヒビを建てるようになり、海苔下駄は使われなくなったそうです。

②刺網

浦安市郷土博物館-刺網

魚の種類によって生態が異なるので、網の目の大きさ・太さ・向き・深さなどの異なる様々な刺網を用いていました。

浦安市郷土博物館 漁業のようす 
↑ 浦安市郷土博物館に展示されていた写真。
何の作業をされているのでしょうか?わかる方、教えて!

③貝漁

浦安市郷土博物館 腰たぶ籠 

↑ 腰タブ籠。
これを使って砂ごと貝を採ります。
砂は籠の目から落ち、籠の中には貝が残ります。

浦安郷土博物館 ガタ

↑ ガタ。貝をふるいにかける道具です。
ガタに残った貝のみを収穫し、小さな貝は戻します。
収穫量が減らないようにするための工夫ですね。

④行商と浦安橋魚市場

浦安市郷土博物館 魚屋 
↑ 浦安市郷土博物館に移築されていた魚屋。
採れたての新鮮な魚を売っていたのでしょうね。

浦安市郷土博物館 魚の行商  

自転車にトロ箱を積んで、行商にも出かけていました。

浦安橋魚市場

↑ 浦安市郷土博物館に展示されていた浦安橋魚市場の写真。昭和初期に作られました。

浦安魚市場

↑ 現在は浦安魚市場となっています。

昭和48年、浦安市の漁師たちは漁業権を全面放棄し、ディズニーランド誘致に合意しました。

東京ディズニーランド 
↑ 東京ディズニーランド

今はもう見ることができない風景が、浦安市郷土博物館にはありました。




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[2017/08/15 12:57] 千葉県 | トラックバック(-) | コメント(-)

浦安市郷土博物館 屋形船 『屋形船のルーツはあの世からやってきた船だった?』 


2017年7月下旬 撮影


①浦安の屋形船

浦安 境川

ここは千葉県浦安市の境川。舟が浮かんでいますね。

浦安 昭和39年ごろの境川の写真 
上は案内板にあった昭和39年ごろの境川の写真です。
いい写真だなあ~。
かつての境川の周辺には民家が立ち並び、小舟がたくさん浮かんでいたのですね。

浦安市郷土博物館 川と舟

浦安市郷土博物館に昔の境川の町並が再現されていましたよ。

浦安市郷土博物館 船宿

船宿も再現されていました。

船宿とは屋形船を釣舟を運行させる店のことで、江戸時代の江戸・大阪などにつくられました。

東京メトロ東西線浦安駅から西へ徒歩5分くらいのところに、現在も数件の船宿があります。

浦安 船宿 夕景 

②龍頭鷁首舟

平安時代には貴族が池に龍頭鷁首舟を浮かべて宴を行ったという記録があります。

大覚寺 観月の夕べ

大覚寺 龍頭鷁首舟

③屋形船は恐ろしいものだった?

しかし屋形船のルーツはさらに古く、万葉集にも屋形船を詠ったものがあります。

沖つ国 うしはく君が 塗り屋形 丹塗りの屋形 神が門渡る


この歌は、「怕(おそ)ろしき物の歌三首」のなかの1首です。
つまり、「屋形船とは恐ろしいものだ」という意味にもとれるのですが、なぜ屋形船は恐ろしいものなのでしょうか?

「沖」は「奥」と同根で、「遠い奥のほうにある場所」を意味します。
「沖つ国」は、「海の彼方にある死者の国」のことで、「常世の国」ともいいます。
「常世の国」と言われるのは、その国へ行った死者は不老不死になるとの信仰からきます。

「うしはく」は漢字では「領く」と書き、「領地としておさめる」「支配する」という意味です。

つまりこの歌は「死者が住む沖つ国(常世の国)を支配する神の丹塗りの屋形船が、神の海峡を渡っていく」という意味になります。

浦安 屋形船 夕景

④沖つ国をうしはく神とはスサノオだった?

「沖つ国」は、「海の彼方にある死者の国。」
ということは、海神の住む竜宮が沖つ国だということでしょうか?

イザナギはこう言っています。
「天照大神は高天原を、月読命は夜の食国を、スサノオは大海原をおさめよ」
そのため、海神とはスサノオと同一神だと考えられています。

沖つ国をうしはく神とはスサノオのことなのかも。

スサノオは牛頭天王と習合され、八坂神社などで疫神として祀られています。
つまりスサノオは死者が住む国を支配する王であり、また疫病を流行らせる神でもあります。

古にもっとも恐れられたのは天然痘で、多くの人が天然痘にかかって亡くなっています。
奈良時代には藤原四兄弟がつぎつぎに天然痘にかかって亡くなっていますね。

そのスサノオが海峡を渡って沖つ国からこの世にあらわれ、疫病を流行らせるという意味なのかもしれませんね。
それで、「怕(おそ)ろしき物の歌三首」のなかに入れられているのかも?

浦安 屋形船 夕景


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[2017/08/12 14:58] 千葉県 | トラックバック(-) | コメント(-)

本土寺 紫陽花 『銀杏の木は火事になると乳をだす?』 

千葉県松戸市 本土寺
2017年7月初旬撮影(紅葉は2016年11月中旬撮影)

本土寺 五重塔 紫陽花

①乳出の御霊水と乳出銀杏


本土寺は平賀忠晴の屋敷跡で、日蓮の門人、日朗・日像・日輪はここで生まれたと伝えられます。

境内の井戸から湧き出る水は「日像菩薩誕生水」と言われ、日像上人が産まれたときに湧きだし、産湯に用いたといわれます。
この水を飲むと病が治り、乳の出がよくなるというご利益があり、別名を「乳出の御霊水」とも。
そして井戸のそばには、乳出銀杏と呼ばれるイチョウの木があります。

紫陽花に気をとられて、井戸やイチョウの写真を撮ってくるのを忘れました~(すいません!)
しかたないので、秋に撮影した写真をご覧ください~。

本土寺 日像菩薩誕生水 

日像菩薩誕生水


本土寺 イチョウ 
乳出銀杏

②イチョウは気根が発達しやすい。


イチョウは気根(きこん)が発達しやすいという性質を持っています。
通常、根は土の中に延びますが、幹や茎から空中に伸びるものがあり、これを気根といいます。
本土寺の乳出銀杏は気根がたくさん出ている様子が乳房のようだということで、こう呼ばれています。

うう~、乳出銀杏の気根の写真を撮り忘れたあ~。(しっかりせい~)

しかたないので奈良・一言主神社の御神木『乳イチョウ』の写真を貼っておきます。
気根がたくさん出ている様子がわかりますね。

一言主神社 公孫樹 
乳出の御霊水と呼ばれるのは、かたわらにある乳出銀杏と関係があるのかもしれませんね。

③水を噴き出すイチョウ


で、イチョウは水分を多く含んでいるため、火事になって熱されると、大量の水蒸気を放出するのだとか。
そのため、防火用にイチョウが植えられることも多いそうです。

本土寺の本堂は1452年に火災のため消失しています。
そのため、9世日意・10世日瑞は本堂再建のため、勧進事業を行っています。

1452年の火災のときに大量の水蒸気を出したのを見て、乳出銀杏と名付けられたのかも?

また「日像上人が産まれたときに清水が湧きだした」というのは、日意・日瑞らが勧進を行う際、乳出銀杏に関連づけて創作したものだったりして?

本土寺 紫陽花2  

 本土寺 紫陽花

本土寺 弁天堂 紫陽花 


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[2017/07/09 22:13] 千葉県 | トラックバック(-) | コメント(-)

濃溝の滝 『ハクは百であり、また九十九でもあった?』 


千葉県君津市 濃溝の滝
2017年6月初旬 撮影


濃溝の滝 3 

 
①ジブリの世界と話題

350年ほど前、笹川から水田に水を引き込むために、洞窟が掘られました。
「亀岩の洞窟」と呼ばれています。

3月と9月、午前中に訪れると洞窟から差し込む光がハート型に見えるそうです。
今度は3月か9月に来たいです♪

ジブリの世界のよう、と話題です。

濃溝の滝  

②ニギハヤヒとニギハヤミ

ジブリ作品『千と千尋の神隠し』に登場する美少年ハク。
ハクの正しい名前は『ニギハヤミコハクヌシ』でしたね。

これは完全に物部氏の祖神・ニギハヤヒからとっていますね。
そう、初代神武天皇よりも早く天の磐船を操って哮峯(いかるがのみね)に天下り、そののち大和の鳥見の白庭山に移ったとされる神様です。
この神話から、初代神武天皇以前、畿内には物部王朝があったとする説がありますね。

ニギハヤヒをニギハヤミとしたのは、『紫の薔薇の人』・速水真澄から・・・・

なんてことはないと思うけど、速水からとったのではないかなあ。
http://dic.pixiv.net/a/%E9%80%9F%E6%B0%B4
上記サイトには速水とは「水のあるところ」という意味だと記されています。

ニギハヤヒは、『日本書紀』では饒速日命 、『古事記』では邇藝速日命となっていて、日の神だと考えられます。
先代旧事本紀では照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてる くにてる ひこ あめのほあかり くしたま にぎはやひ の みこと)となっており
ニギハヤヒが本当の天照大神だとする説もあります。

しかし、ハクは川の神なので速日を速水に変えたのではないでしょうか?

濃溝の滝 2  

③コハク=琥珀=小白

ニギハヤミコヤクヌシの『コハク』は『琥珀』という意味なのかな?
しかしネットで調べてみると、饒速水小白主という表記が出てきます。
もしかして、アニメの中で饒速水小白主という文字が出てきたのでしょうか?
ハクは白い龍に変身しますし、饒速水小白主という表記はありだと思います。

また日本では漢字の意味よりも漢字の音を重んじることが多いです。
万葉仮名は漢字の意味を無視して漢字の音を重要視することから作られたものですし
ニギハヤヒを饒速日命・邇藝速日命のように、複数の表記をすることも珍しくありません。

日本のファジーな感覚では、饒速水琥珀主でも、饒速水小白主でもどっちでもいい、ということになりそうです。

濃溝の滝付近 2


④おまえ百まで、わしゃ九十九まで

謡曲・高砂ではおじいさんが熊手を持ち、おばあさんが箒をもって海岸の掃除をしています。
これは単に掃除をしているということではなく、浄めの儀式として行っているのでしょうね。

なんでおじいさんが熊手、おばあさんが箒を持っているのかといえば
熊手は「九十九まで」、箒は「掃く(はく)=」という意味で長寿を表すとされます。

俗謡で「おまえ百まで、わしゃ九十九まで。共に白髪の生えるまで」と謡うものがありますが、これは謡曲・高砂からくるといわれています。

ウン?するとニギハヤミコハクヌシ=ハクは『掃く=百』なのかも?

主人公の千尋が『千』で、ハクが『百』。
数が多いことを『千百』といいますね。
それにかけて『千』と『ハク(掃く=百)としたのかも?

またハクは白と表記するのかもしれませんが、白髪のことを、九十九髪(つくもがみ)といいます。
これは伊勢物語に出てくるのですが
100-1=99 ですが、百-一=白になるという謎々なのです。

うーん、するとハクは『掃く=百』でもあり、『白=百-一=九十九』でもあるということになりますね。

濃溝の滝付近 



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[2017/06/11 00:00] 千葉県 | トラックバック(-) | コメント(-)

旧大塚家住宅(浦安) 『漁業を捨てた町』 

 千葉県浦安市 旧大塚家住宅

①漁師が住んでいた家

旧大塚家住宅

前回、旧宇田川家住宅について書きましたが、そのすぐ近くに旧大塚家住宅があります。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8C%AB%E5%AE%9F_(%E6%B5%A6%E5%AE%89%E5%B8%82)#/media/File:100_views_edo_096.jpg
↑ リンク先は歌川広重の名所江戸百景「堀江ねこざね」です。

浦安という地名は明治22年に3つの村が合併してつけられたもので、江戸時代には当代島村・猫実(ねこざね)村・堀江村といっていました。
広重はこのうちの猫実村・堀江村を描いたのですね。
大塚家住宅は浦安市堀江にあり、かつての堀江村にあった民家だと考えられます。
広重の絵を見ると旧大塚家住宅のような茅葺屋根の民家がたくさん描かれています。

浦安 旧大塚家住宅-土間 
大塚家は農業と漁業を営んでいました。
屋根裏2階があって土間と玄関の天井から上に登れる構造になっているそうです。
洪水がおこると家財道具をそこに持ち込んだり、避難したりしていたのだとか。

浦安 旧大塚家住宅  
土間をあがったところには ↑ こんな人形が置かれていました。
お父さんは網をつくろっているのだと思います。
お嬢さんは海苔簾(のりす)を作っているのかな?

浦安 旧大塚家住宅-神棚と仏壇 

上が神棚、下が仏壇になっています。その大きさから、大塚家の人々が信仰心の厚い人々であったことがしのばれます。

浦安 旧大塚家住宅 トイレ

家の中にトイレがあるのは珍しいと説明を受けました。
そういえば、じいちゃんちのトイレは離れにあって、雨の日は傘をさしてトイレに行ったなあ~。

宇田川家住宅も大塚家住宅もお風呂が見当たらなかったですが、お風呂はどうしていたんでしょう?
銭湯があったのかな?

浦安 稲荷神社 大鯨の御社 

稲荷神社 大鯨の御社

②漁業を捨てた町

このあたりではかつて海苔の養殖、アサリや蛤の養殖、漁業が盛んに行われていました。
近隣の村との漁業権の争いがあったり、度重なる風水害があったりで大変だったようですが。
昭和30年に旧の堤防が完成したことで、風水害はようやく減少したとのことです。

また漁師たちはゴミ問題や海の汚染とも戦いました。
人糞で肥料を作る工場が計画されるということが2度にわたってあったそうですが、漁師たちは工場予定地を買い取ることで阻止しています。
 東京都がゴミを埋め立てて島を造ろうとしたこともありましたが、住民たちの反対運動によって実現しませんでした。

浦安 昭和39年ごろの境川の写真 
昭和39年ごろの境川。(説明板より)

昭和33年には製紙工場の排水が海の魚を死滅させるという事件がおきています。
製紙工場はいったんは工場排水を流さないと約束したにもかかわらず再び排水を流し始めたので、
怒った住民が工場に乱入し、機動隊員との乱闘に発展するという事件がおきています。
この年、環境保護法が成立した背景には、浦安の漁師たちの強い働きかけがあったといえるでしょう。

しかし海の汚染には勝てず、昭和48年、漁師たちは漁業権を全面放棄し、ディズニーランド誘致に合意しました。

大塚家住宅のほか、稲荷神社境内の大鯨の御社や、大海津見神(海の神)を祀る清滝神社が、かつて浦安が漁村だったことを物語っています。

浦安 清滝神社

清滝神社 ↑ ↓

浦安 清滝神社 

東京ディズニーランド 
東京ディズニーランド(夕焼け空と海は合成です・・・汗)


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[2016/12/20 01:20] 千葉県 | トラックバック(-) | コメント(-)

旧宇田川家住宅  『昔の人の知恵にびっくり!』 

千葉県浦安市 旧宇田川家住宅

宇田川家住宅 外観

大正時代にタイムスリップ!
宇田川商店さん(こんな屋号だったかどうかわかりませんが~)に行って着物の反物を見せてもらいましょう~♪

宇田川商店さんは明治2年に建てられた立派な建物で、表が店舗、裏が住宅になっています。

宇田川家住宅 店舗

お店に入るとすぐに2階から店主が出てこられましたよ。
どうして2階にいた店主は客が来たのがわかったんでしょうか?

宇田川家住宅 のぞき穴2 

「あれっ? 大将、天井に穴あいてますよ!」

「ばれちゃいましたか~。あれ覗き穴なんですよ~。」

宇田川家住宅 のぞき穴

「2階はこんな感じになってるんですよ。この錘をどけると床に穴があいてて店の様子を見る事ができるんですよ~。」

「なるほど~!」

宇田川家住宅 階段 踊り場 
 

階段を下りて1階へ行きますと、壁に小さな窓のようなものがついています。

宇田川家住宅 雨戸 

「大将、この小さな窓はなんですか?」

「ここに手をいれて、雨戸を押し出すんですよ~」

「なるほど~!これは雨戸を出しやすいですね!」

宇田川家住宅 屏風 

「うちは呉服の他、米も商っているんですよ。あれは足踏み脱穀機です。大正元年に発明されたものです。」

宇田川家住宅 足踏み式 脱穀機 

「自転車のスポークにあたったもみが飛び散るのを見て発明されたそうです。
踏み板を足で踏んで上下に動かすと、ドラムが回ります。
そこへ稲束を乗せて手で押さえると、やまがたの針金にひっかかってもみが落ちるというわけです。」

「なるほど~!昔の人の素晴らしい知恵ですね!」

※安井金毘羅宮の櫛祭に登場された方、東山花灯路で舞を披露された舞妓さんを合成しました。




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[2016/12/19 00:00] 千葉県 | トラックバック(-) | コメント(-)

鵜原理想郷 (明神岬) 大杉神社 海岸 波 『エビスは鯨の神様だった?』 

千葉県勝浦市 鵜原理想郷 (明神岬)

鵜原理想郷付近 海岸 
①鵜原理想郷

美しいリアス式海岸が続く明神岬。
大正時代、ここを別荘地とする計画がもちあがったことから鵜原理想郷と呼ばれているようです。
でも別荘らしきものは見当たらなかったので、計画は頓挫したんでしょうね。
目の前に広がるのは青い空と青い海、白い波しぶきばかりです。

鵜原理想郷 手弱女平 鐘つきベンチ 
美しいお嬢さんたちは堺祭の時代行列に参加されていた方です。(合成)


②クジラの頭蓋骨を祀る大杉神社

海岸の高台に大杉神社がありました。
神社といっても、とても小さな祠があるだけです。
扉には閂がかかっていて、参拝する人がおのおの閂を抜いて扉を開き、参拝するというシステムになっていました。

祠の中には安政時代(1854年~1860年)のものと伝わるクジラの頭蓋骨がお祭りされていました。
これが御神体なのでしょう。
海上安全・大漁祈願・水難除けに霊験あらたかと信仰されているそうです。

鵜原理想郷 大杉神社 

③天富命は水死体の神だった?

勝浦(千葉) 夕景など 『天富命は土左衛門だった?』 
↑ こちらの記事で、天富命についてお話ししました。

天富命は神武天皇に仕えていた神で、阿波を開拓し、その後黒潮にのって安房にやってきてこの地を開拓をしたと伝わります。

上記の記事はいろんな神様の名前がうじゃうじゃ出てきて、なじみのない方はややこしく感じられたのではないかと反省しております。(すいません~)

すごく簡単にかいつまんでいうと、天富命の「富」は次のように変化し、天富命は水死体の神ではないかと考えたわけです。

富=十三=とさ=土左(土左衛門)

※大阪に十三「じゅうそう」という地名があり、青森県には十三港「とさみなと」がありました。

土左衛門とは水死体のことです。

 鵜原理想郷 波

④蛭子神は水死体の神だった?

私は天富命とは水死体の神だと考えていますが、他にも水死体の神と考えられる神がいます。エビスです。

エビスはイザナギ・イザナミの長子として生まれたのですが、は身体障害児で3歳になっても歩けなかったため
イザナギ・イザナミはエビスを葦船に乗せて流してしまいました。

エビスは竜宮にたどりつき、海神に育てられたというのですが、海の中にあるという竜宮とは死の国のことでしょうね。
エビスは海で死んで水死体になったということでしょう。

エビスが水死体の神であることは、水死体のことを「エビス」という地方があることからも裏付けられます。

鵜原理想郷 波2


⑤天富命はエビスだった?

天富命が土左衛門(水死体)の神であるとすれば、同様に水死体の神であるエビスと同一神または習合されているのではないでしょうか。

⑥クジラはエビスまたは天富命がよみがえったもの?

④で水死体のことを「エビス」という地域があるといいましたが、
クジラのことを「エビス」という地域もあります。

クジラは海で死んだかわいそうなエビスの霊が蘇ったものに違いない。
古の人々はそんなふうに考えたのではないでしょうか。

そして⑤で述べたように、天富命は水死体の神であり、エビスと同一神または習合されていると考えられるので
クジラは天富命が蘇った姿でもあると考えられたのではないかと思います。

浦安 稲荷神社 大鯨の御社 

↑ こちらは千葉県浦安市稲荷神社に祀られている大鯨の御社です。
クジラは安房の国を作った天富命の化身として、広く信仰されているようです。

 


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[2016/12/18 00:00] 千葉県 | トラックバック(-) | コメント(-)

勝浦(千葉) 夕景など 『天富命は土左衛門だった?』 


千葉県勝浦市
2016年11月中旬 撮影


 
勝浦(千葉) 港

①3か所にある勝浦という地名

千葉県に勝浦という地名がありますが、和歌山県には那智勝浦という地名があります。
四国の徳島県にも勝浦という地名があります。
しかも、徳島県の旧名は阿波、千葉県は安房で漢字は違いますが発音はどちらも「あわ」で同じです。

②阿波も安房も天富命が開拓した


それもそのはず、伝説によれば神武天皇に仕えていた天富命が阿波を開拓し、その後黒潮にのって安房にやってきて開拓をしたというのです。

遠見岬神社 

天富命を祀る遠見岬神社

③安房勝浦と那智勝浦にも関係があった?

今回の旅では訪問しなかったのですが、安房勝浦の熊野貴船神社には「昔、阿波の人が安房に来て農業を伝え、紀伊の人が漁業を伝えた」と伝わっているようです。
http://www7a.biglobe.ne.jp/~mkun/nazo/origin.htm

紀伊というのは和歌山県ですから、和歌山県の那智勝浦も安房や阿波の勝浦と関係がありそうに思えます。

勝浦(千葉) 松の家  

④天富命とはトミヒコのことでは?

天富命とはトミヒコのことではないかと思ったりします。
トミヒコとはナガスネヒコのことです。

⑤ナガスネヒコは神武天皇のライバルだった。

ナガスネヒコは初代神武天皇が東征してやってくる前から畿内に住んでいたとされる人物です。
神武天皇は日向から畿内の土地をわがものにしようとやってきました。
つまり神武天皇は侵略戦争をしかけたわけです。
なので当然、ナガスネヒコは国を守るために応戦しました。

ナガスネヒコはニギハヤヒを神として奉じていました。
ニギハヤヒは物部氏の祖神です。
このため、神武東征以前、畿内には物部王朝があったとする説があります。

ところがニギハヤヒは神武に服してしまい、自分を神として崇めているナガスネヒコを殺したと記紀は記しています。

ただし、記紀は天皇家の正当性を説くために記されたものだといえるので
天皇家にとって都合のいいように記されているはずです。
なので、ニギハヤヒがナガスネヒコを殺したというのが事実を反映したものかどうかは疑問です。

しかし、天皇家の先祖が日向から東征して畿内にやってきたというのは事実だと思います。
もともと天皇家が畿内にいたのであれば、そのほうが天皇家にとっては畿内に住む人民を支配するのに都合がいいはずです。
それを、わざわざ日向からやってきたと書いているのは、それが事実を反映したものだからでしょう。

勝浦(千葉) 本行寺 
本行寺釈迦堂 このあたりは日蓮宗が多かったです。日蓮が安房の生まれだからでしょうね。

⑥アメノホアカリ=ニギハヤヒは天孫でニニギの兄

神武天皇はニニギの曾孫にあたります。
ニニギは天照大神の孫で、天照大神に命じられて葦原中国に天下ったとされます。
そしてニニギにはアメノホアカリという兄がいたとされます。

京都府宮津市の籠神社が伝えるところによると、籠神社の御祭神ヒコホアカリは別名をアメノホアカリ、ニギハヤヒともいうと伝えています。

これが事実とすれば、ニギハヤヒはニニギの兄ということになります。
また神武が東征する以前にあった物部王朝は、神武の曾祖父(ニニギ)の兄(アメノホアカリ)が建国した国ということになりますね。

 
覚翁寺。このお寺は浄土宗のお寺でした。

⑦ニギハヤヒとナガスネヒコは同一神?

ニギハヤヒ(アメノホアカリ)は神武天皇の曾祖父・ニニギの兄なので
神武が東征して機内入りしたときニギハヤヒが生きていたとすると、相当な長寿だったということになります。
仮にニギハヤヒが20歳のときに弟のニニギに子のホオリが生まれたとしましょう。
ホオリ20歳のときにウガヤフキアエズ(ニニギの孫)が生まれたとすれば、このときニギハヤヒは40歳。
ウガヤフキアエズが20歳のときに神武天皇(ニニギの曾孫)が生まれたとすれば、このときニギハヤヒは60歳です。
で、神武天皇がナガスネヒコを倒して橿原宮で即位したのは52歳なので、このときニギハヤヒは112歳ということになってしまいます。
現代においても112歳という長寿の人はほんのわずかしかいないので、これは不自然です。
このときニギハヤヒはすでに死んでいて、ナガスネヒコが物部王朝の王だったのではないかと思えます。
ニギハヤヒはナガスネヒコの祖霊なのではないでしょうか。

勝浦(千葉) 松の湯  

千葉県で一番古い銭湯だそうです。中もすごくレトロなのだとか。
ホテルのお風呂もよかったけど、松の湯にも行けばよかったなあ~。


⑧エビスとナガスネヒコ(トミヒコ)は同一神?

関西はえべっさん(エビス神)に対する信仰が厚い地域で、1月10日は十日戎といって多くの人が各地の恵比寿神社を参拝します。

エビスはイザナギ・イザナミの長子として生まれますが、3歳になっても立つことができない身体障害児だったので、葦船に乗せて海に流されたとされる神です。

エビスがイザナギ・イザナミの長子として生まれたという点に注意して下さい。
この神話は「長子はダメ」ということを言いたいがために、エビスを身体障害児として創作し、海に流されたという話を作り上げたのではないでしょうか。

神武の先祖のニニギはニギハヤヒ(アメノホアカリ)の弟でしたね。
それで兄のニギハヤヒ(アメノホアカリ)はダメで、弟のニニギは出来がいい、というために、のような話を創作したのではないかということです。

エビスとはニギハヤヒのイメージを重ねた神ではないかと思います。
そして⑦で述べたように、ニギハヤヒとナガスネヒコは同一神だとすると、エビスとナガスネヒコ(トミヒコ)は同一神ということになります。

勝浦 夕景

⑨エビスは水死体だった。


海に流されたエビスは海の中にある竜宮にたどりついたという伝承がありますが、竜宮とは死の国のことでしょう。
つまり、エビスは海に流されて死んだ水死体なわけです。

⑩土左衛門の語源はトミヒコだった?

水死体のことを土左衛門といいますね。

これは江戸時代の力士・成瀬川土佐衛門が色白で大変な肥満体で水死体を思わせる容姿だったかことに由来すると言われますが
これが正しいかどうかについてはわかっていません。

私は、水死体のことを土左衛門というのは、トミヒコからくるのではないかと考えています。

というのは大阪に十三(じゅうそう)という地名があって、その地名の由来には様々な説があるのですが
その中のひとつに「中津(十三の近くにある)の富島という地名からくる」という説があるのです。

またかつて青森県の十三湖にあった十三湊は十三と書いて「とさ」と読みます。

とみ→十三→十三(とさ)衛門→土左衛門 と転じたのではないでしょうか?

で、⑧で述べたように、トミヒコ(ナガスネヒコ)とエビスは同一神と考えられますし
⑨で述べたように水死体をエビスという地域があります。

トミヒコ=エビス
エビス=水死体
∴トミヒコ=水死体

となります。

⑪土左衛門の神

さらに、天富命=トミヒコとすれば、天富命は水死体ということになります。
勝浦の遠見岬神社ではこの天富命を祀っていますが、勝浦は海に面した漁村です。
海で命を落とす人々も大勢いたことでしょう。
土左衛門の神は漁村の神としてふさわしいように思えます。

ちょっとややこしいですね。すいません~。

重蔵神社 夏祭 『重蔵神社はトミヒコ神社?』 
輪島ふらっと訪夢 御陣乗太鼓 『男幽霊(土左衛門)は重蔵だった?』  

こちらは関連記事です。

 勝浦 夕景


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[2016/12/17 00:37] 千葉県 | トラックバック(-) | コメント(-)

アンティークホテル ら・みらどーる 『市は付喪神を祓い浄める神事だった?』 


アンティークホテル 

千葉県鴨川市太見 「アンティークホテル ら・みらどーる」さん 
http://www.ptihotel.com/rooms.html

「アンティークホテル ら・みらどーる」さんに宿泊しました。
美しいアンティークの家具や雑貨がいっぱい!
あまりに素敵なので許可を得て写真を撮らせていただきました。
快くブログ掲載許可も下さり、本当にありがとうございました。

今日は素敵な「ら・みらどーる」さんのインテリアをご紹介しつつ、付喪神についてのお話しをしたいと思います。

アンティークホテル8 

●アンティークの定義


一般的に古いもののことをアンティークと言ったりしますが
厳密には製造後100年を経たもののことをアンティークと言うのですね。

アンティークホテル9  

これはストーブかな?

●付喪神と煤払い

古の日本では、100年を経た道具には精霊がつき、付喪神(九十九神/つくもがみ)になると考えられていました。
そこで付喪神に祟られないよう、古い道具は年末の煤払いで路地に捨てる習慣があったといいます。

もったいない~。
私なんかは新しいものは捨てたりすることもありますが、じいちゃん・ばあちゃんが使ってた道具なんか絶対捨てないです。
高価なものなどはありませんが、古い道具には現代の道具にはない暖かさがあります。

アンティークホテル7 

●終い弘法・終い天神


12月21日は京都・東寺の終い弘法、12月25日は北野天満宮の終い天神で、境内で骨董市が行われます。
もうずいぶん前に終い弘法に行ったことがありますが、ものすごい数の露店が駅から東寺までずらっと並んでいたのを思い出します。
「ら・みらどーる」さんに置かれているような西洋アンティークを売る露店もたくさんありました。

終い弘法や終い天神は、年末の煤払いで付喪神がついていそうな古い道具を人々が捨てていたのを、市を開いて売るようになったのが始まりであると聞いたことがあります。

アンティークホテル6 

●付喪神の憑いた道具はなぜ売れたのか?


人々が煤払いで古い道具を路地に捨てていたのは、その道具に憑いた付喪神に祟られないようにするためですよね。
それらを市で売ったということは、付喪神がついた道具を買う人がいたということ?
小道具を買う人は付喪神が恐ろしいとは思わなかったんでしょうか?

アンティークホテル4 

とても小さいけどオルガン?

●市は斎(いつき)だった?


平安時代だったか、虹はまがまがしいものとされていたそうで
虹がでると虹がでたところに市をたてるときいたことがあります。

市は斎(いつき)であると聞いた記憶もあります。斎とは潔斎して神につかえることを言います。

「市は斎」ではなく「一は斎」だったかもしれません。(記憶があいまいですいません~。)
ですが市と一は音が同じですし、日本ではどちらかというと漢字の意味よりも音を重視していたふしがあります。
たとえば、奈良東大寺に転害門がありますが、手貝門・手掻門・手蓋門などとも書 かれます。

なので、「市=一=斎」と考えてもいいのかなと。

アンティークホテル5  

●市は神事だった?

現代人は市とは単に物品を売買することだと考えていますが
古には市とは斎で、神事であったのではないでしょうか。

つまり市を開いて物品を交換したり金銭を支払うということは、道具に憑いた付喪神を祓い浄める効果があると信じられていたのではないかと思うわけです。

そう考えると、まがまがしいものだと考えられていた虹が出ると市を開いたということの意味や
煤払いで捨てたものを売買する市が開かれたことの意味がわかります。

アンティークホテル2 

だけど、もしも付喪神というものが本当にいるのなら、それはとても美しい精霊なのではないかなあ~。
そうでなきゃ、古い道具がこんなに美しいはずがありません。

アンティークホテル3 


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[2016/12/15 00:00] 千葉県 | トラックバック(-) | コメント(-)