濃溝の滝 『ハクは百であり、また九十九でもあった?』 


千葉県君津市 濃溝の滝
2017年6月初旬 撮影


濃溝の滝 3 

 
①ジブリの世界と話題

350年ほど前、笹川から水田に水を引き込むために、洞窟が掘られました。
「亀岩の洞窟」と呼ばれています。

3月と9月、午前中に訪れると洞窟から差し込む光がハート型に見えるそうです。
今度は3月か9月に来たいです♪

ジブリの世界のよう、と話題です。

濃溝の滝  

②ニギハヤヒとニギハヤミ

ジブリ作品『千と千尋の神隠し』に登場する美少年ハク。
ハクの正しい名前は『ニギハヤミコハクヌシ』でしたね。

これは完全に物部氏の祖神・ニギハヤヒからとっていますね。
そう、初代神武天皇よりも早く天の磐船を操って哮峯(いかるがのみね)に天下り、そののち大和の鳥見の白庭山に移ったとされる神様です。
この神話から、初代神武天皇以前、畿内には物部王朝があったとする説がありますね。

ニギハヤヒをニギハヤミとしたのは、『紫の薔薇の人』・速水真澄から・・・・

なんてことはないと思うけど、速水からとったのではないかなあ。
http://dic.pixiv.net/a/%E9%80%9F%E6%B0%B4
上記サイトには速水とは「水のあるところ」という意味だと記されています。

ニギハヤヒは、『日本書紀』では饒速日命 、『古事記』では邇藝速日命となっていて、日の神だと考えられます。
先代旧事本紀では照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてる くにてる ひこ あめのほあかり くしたま にぎはやひ の みこと)となっており
ニギハヤヒが本当の天照大神だとする説もあります。

しかし、ハクは川の神なので速日を速水に変えたのではないでしょうか?

濃溝の滝 2  

③コハク=琥珀=小白

ニギハヤミコヤクヌシの『コハク』は『琥珀』という意味なのかな?
しかしネットで調べてみると、饒速水小白主という表記が出てきます。
もしかして、アニメの中で饒速水小白主という文字が出てきたのでしょうか?
ハクは白い龍に変身しますし、饒速水小白主という表記はありだと思います。

また日本では漢字の意味よりも漢字の音を重んじることが多いです。
万葉仮名は漢字の意味を無視して漢字の音を重要視することから作られたものですし
ニギハヤヒを饒速日命・邇藝速日命のように、複数の表記をすることも珍しくありません。

日本のファジーな感覚では、饒速水琥珀主でも、饒速水小白主でもどっちでもいい、ということになりそうです。

濃溝の滝付近 2


④おまえ百まで、わしゃ九十九まで

謡曲・高砂ではおじいさんが熊手を持ち、おばあさんが箒をもって海岸の掃除をしています。
これは単に掃除をしているということではなく、浄めの儀式として行っているのでしょうね。

なんでおじいさんが熊手、おばあさんが箒を持っているのかといえば
熊手は「九十九まで」、箒は「掃く(はく)=」という意味で長寿を表すとされます。

俗謡で「おまえ百まで、わしゃ九十九まで。共に白髪の生えるまで」と謡うものがありますが、これは謡曲・高砂からくるといわれています。

ウン?するとニギハヤミコハクヌシ=ハクは『掃く=百』なのかも?

主人公の千尋が『千』で、ハクが『百』。
数が多いことを『千百』といいますね。
それにかけて『千』と『ハク(掃く=百)としたのかも?

またハクは白と表記するのかもしれませんが、白髪のことを、九十九髪(つくもがみ)といいます。
これは伊勢物語に出てくるのですが
100-1=99 ですが、百-一=白になるという謎々なのです。

うーん、するとハクは『掃く=百』でもあり、『白=百-一=九十九』でもあるということになりますね。

濃溝の滝付近 



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[2017/06/11 00:00] 千葉県 | トラックバック(-) | コメント(-)

旧大塚家住宅(浦安) 『漁業を捨てた町』 

 千葉県浦安市 旧大塚家住宅

①漁師が住んでいた家

旧大塚家住宅

前回、旧宇田川家住宅について書きましたが、そのすぐ近くに旧大塚家住宅があります。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8C%AB%E5%AE%9F_(%E6%B5%A6%E5%AE%89%E5%B8%82)#/media/File:100_views_edo_096.jpg
↑ リンク先は歌川広重の名所江戸百景「堀江ねこざね」です。

浦安という地名は明治22年に3つの村が合併してつけられたもので、江戸時代には当代島村・猫実(ねこざね)村・堀江村といっていました。
広重はこのうちの猫実村・堀江村を描いたのですね。
大塚家住宅は浦安市堀江にあり、かつての堀江村にあった民家だと考えられます。
広重の絵を見ると旧大塚家住宅のような茅葺屋根の民家がたくさん描かれています。

浦安 旧大塚家住宅-土間 
大塚家は農業と漁業を営んでいました。
屋根裏2階があって土間と玄関の天井から上に登れる構造になっているそうです。
洪水がおこると家財道具をそこに持ち込んだり、避難したりしていたのだとか。

浦安 旧大塚家住宅  
土間をあがったところには ↑ こんな人形が置かれていました。
お父さんは網をつくろっているのだと思います。
お嬢さんは海苔簾(のりす)を作っているのかな?

浦安 旧大塚家住宅-神棚と仏壇 

上が神棚、下が仏壇になっています。その大きさから、大塚家の人々が信仰心の厚い人々であったことがしのばれます。

浦安 旧大塚家住宅 トイレ

家の中にトイレがあるのは珍しいと説明を受けました。
そういえば、じいちゃんちのトイレは離れにあって、雨の日は傘をさしてトイレに行ったなあ~。

宇田川家住宅も大塚家住宅もお風呂が見当たらなかったですが、お風呂はどうしていたんでしょう?
銭湯があったのかな?

浦安 稲荷神社 大鯨の御社 

稲荷神社 大鯨の御社

②漁業を捨てた町

このあたりではかつて海苔の養殖、アサリや蛤の養殖、漁業が盛んに行われていました。
近隣の村との漁業権の争いがあったり、度重なる風水害があったりで大変だったようですが。
昭和30年に旧の堤防が完成したことで、風水害はようやく減少したとのことです。

また漁師たちはゴミ問題や海の汚染とも戦いました。
人糞で肥料を作る工場が計画されるということが2度にわたってあったそうですが、漁師たちは工場予定地を買い取ることで阻止しています。
 東京都がゴミを埋め立てて島を造ろうとしたこともありましたが、住民たちの反対運動によって実現しませんでした。

浦安 昭和39年ごろの境川の写真 
昭和39年ごろの境川。(説明板より)

昭和33年には製紙工場の排水が海の魚を死滅させるという事件がおきています。
製紙工場はいったんは工場排水を流さないと約束したにもかかわらず再び排水を流し始めたので、
怒った住民が工場に乱入し、機動隊員との乱闘に発展するという事件がおきています。
この年、環境保護法が成立した背景には、浦安の漁師たちの強い働きかけがあったといえるでしょう。

しかし海の汚染には勝てず、昭和48年、漁師たちは漁業権を全面放棄し、ディズニーランド誘致に合意しました。

大塚家住宅のほか、稲荷神社境内の大鯨の御社や、大海津見神(海の神)を祀る清滝神社が、かつて浦安が漁村だったことを物語っています。

浦安 清滝神社

清滝神社 ↑ ↓

浦安 清滝神社 

東京ディズニーランド 
東京ディズニーランド(夕焼け空と海は合成です・・・汗)


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[2016/12/20 01:20] 千葉県 | トラックバック(-) | コメント(-)

旧宇田川家住宅  『昔の人の知恵にびっくり!』 

千葉県浦安市 旧宇田川家住宅

宇田川家住宅 外観

大正時代にタイムスリップ!
宇田川商店さん(こんな屋号だったかどうかわかりませんが~)に行って着物の反物を見せてもらいましょう~♪

宇田川商店さんは明治2年に建てられた立派な建物で、表が店舗、裏が住宅になっています。

宇田川家住宅 店舗

お店に入るとすぐに2階から店主が出てこられましたよ。
どうして2階にいた店主は客が来たのがわかったんでしょうか?

宇田川家住宅 のぞき穴2 

「あれっ? 大将、天井に穴あいてますよ!」

「ばれちゃいましたか~。あれ覗き穴なんですよ~。」

宇田川家住宅 のぞき穴

「2階はこんな感じになってるんですよ。この錘をどけると床に穴があいてて店の様子を見る事ができるんですよ~。」

「なるほど~!」

宇田川家住宅 階段 踊り場 
 

階段を下りて1階へ行きますと、壁に小さな窓のようなものがついています。

宇田川家住宅 雨戸 

「大将、この小さな窓はなんですか?」

「ここに手をいれて、雨戸を押し出すんですよ~」

「なるほど~!これは雨戸を出しやすいですね!」

宇田川家住宅 屏風 

「うちは呉服の他、米も商っているんですよ。あれは足踏み脱穀機です。大正元年に発明されたものです。」

宇田川家住宅 足踏み式 脱穀機 

「自転車のスポークにあたったもみが飛び散るのを見て発明されたそうです。
踏み板を足で踏んで上下に動かすと、ドラムが回ります。
そこへ稲束を乗せて手で押さえると、やまがたの針金にひっかかってもみが落ちるというわけです。」

「なるほど~!昔の人の素晴らしい知恵ですね!」

※安井金毘羅宮の櫛祭に登場された方、東山花灯路で舞を披露された舞妓さんを合成しました。




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[2016/12/19 00:00] 千葉県 | トラックバック(-) | コメント(-)

鵜原理想郷 (明神岬) 大杉神社 海岸 波 『エビスは鯨の神様だった?』 

千葉県勝浦市 鵜原理想郷 (明神岬)

鵜原理想郷付近 海岸 
①鵜原理想郷

美しいリアス式海岸が続く明神岬。
大正時代、ここを別荘地とする計画がもちあがったことから鵜原理想郷と呼ばれているようです。
でも別荘らしきものは見当たらなかったので、計画は頓挫したんでしょうね。
目の前に広がるのは青い空と青い海、白い波しぶきばかりです。

鵜原理想郷 手弱女平 鐘つきベンチ 
美しいお嬢さんたちは堺祭の時代行列に参加されていた方です。(合成)


②クジラの頭蓋骨を祀る大杉神社

海岸の高台に大杉神社がありました。
神社といっても、とても小さな祠があるだけです。
扉には閂がかかっていて、参拝する人がおのおの閂を抜いて扉を開き、参拝するというシステムになっていました。

祠の中には安政時代(1854年~1860年)のものと伝わるクジラの頭蓋骨がお祭りされていました。
これが御神体なのでしょう。
海上安全・大漁祈願・水難除けに霊験あらたかと信仰されているそうです。

鵜原理想郷 大杉神社 

③天富命は水死体の神だった?

勝浦(千葉) 夕景など 『天富命は土左衛門だった?』 
↑ こちらの記事で、天富命についてお話ししました。

天富命は神武天皇に仕えていた神で、阿波を開拓し、その後黒潮にのって安房にやってきてこの地を開拓をしたと伝わります。

上記の記事はいろんな神様の名前がうじゃうじゃ出てきて、なじみのない方はややこしく感じられたのではないかと反省しております。(すいません~)

すごく簡単にかいつまんでいうと、天富命の「富」は次のように変化し、天富命は水死体の神ではないかと考えたわけです。

富=十三=とさ=土左(土左衛門)

※大阪に十三「じゅうそう」という地名があり、青森県には十三港「とさみなと」がありました。

土左衛門とは水死体のことです。

 鵜原理想郷 波

④蛭子神は水死体の神だった?

私は天富命とは水死体の神だと考えていますが、他にも水死体の神と考えられる神がいます。エビスです。

エビスはイザナギ・イザナミの長子として生まれたのですが、は身体障害児で3歳になっても歩けなかったため
イザナギ・イザナミはエビスを葦船に乗せて流してしまいました。

エビスは竜宮にたどりつき、海神に育てられたというのですが、海の中にあるという竜宮とは死の国のことでしょうね。
エビスは海で死んで水死体になったということでしょう。

エビスが水死体の神であることは、水死体のことを「エビス」という地方があることからも裏付けられます。

鵜原理想郷 波2


⑤天富命はエビスだった?

天富命が土左衛門(水死体)の神であるとすれば、同様に水死体の神であるエビスと同一神または習合されているのではないでしょうか。

⑥クジラはエビスまたは天富命がよみがえったもの?

④で水死体のことを「エビス」という地域があるといいましたが、
クジラのことを「エビス」という地域もあります。

クジラは海で死んだかわいそうなエビスの霊が蘇ったものに違いない。
古の人々はそんなふうに考えたのではないでしょうか。

そして⑤で述べたように、天富命は水死体の神であり、エビスと同一神または習合されていると考えられるので
クジラは天富命が蘇った姿でもあると考えられたのではないかと思います。

浦安 稲荷神社 大鯨の御社 

↑ こちらは千葉県浦安市稲荷神社に祀られている大鯨の御社です。
クジラは安房の国を作った天富命の化身として、広く信仰されているようです。

 


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[2016/12/18 00:00] 千葉県 | トラックバック(-) | コメント(-)

勝浦(千葉) 夕景など 『天富命は土左衛門だった?』 


千葉県勝浦市
2016年11月中旬 撮影


 
勝浦(千葉) 港

①3か所にある勝浦という地名

千葉県に勝浦という地名がありますが、和歌山県には那智勝浦という地名があります。
四国の徳島県にも勝浦という地名があります。
しかも、徳島県の旧名は阿波、千葉県は安房で漢字は違いますが発音はどちらも「あわ」で同じです。

②阿波も安房も天富命が開拓した


それもそのはず、伝説によれば神武天皇に仕えていた天富命が阿波を開拓し、その後黒潮にのって安房にやってきて開拓をしたというのです。

遠見岬神社 

天富命を祀る遠見岬神社

③安房勝浦と那智勝浦にも関係があった?

今回の旅では訪問しなかったのですが、安房勝浦の熊野貴船神社には「昔、阿波の人が安房に来て農業を伝え、紀伊の人が漁業を伝えた」と伝わっているようです。
http://www7a.biglobe.ne.jp/~mkun/nazo/origin.htm

紀伊というのは和歌山県ですから、和歌山県の那智勝浦も安房や阿波の勝浦と関係がありそうに思えます。

勝浦(千葉) 松の家  

④天富命とはトミヒコのことでは?

天富命とはトミヒコのことではないかと思ったりします。
トミヒコとはナガスネヒコのことです。

⑤ナガスネヒコは神武天皇のライバルだった。

ナガスネヒコは初代神武天皇が東征してやってくる前から畿内に住んでいたとされる人物です。
神武天皇は日向から畿内の土地をわがものにしようとやってきました。
つまり神武天皇は侵略戦争をしかけたわけです。
なので当然、ナガスネヒコは国を守るために応戦しました。

ナガスネヒコはニギハヤヒを神として奉じていました。
ニギハヤヒは物部氏の祖神です。
このため、神武東征以前、畿内には物部王朝があったとする説があります。

ところがニギハヤヒは神武に服してしまい、自分を神として崇めているナガスネヒコを殺したと記紀は記しています。

ただし、記紀は天皇家の正当性を説くために記されたものだといえるので
天皇家にとって都合のいいように記されているはずです。
なので、ニギハヤヒがナガスネヒコを殺したというのが事実を反映したものかどうかは疑問です。

しかし、天皇家の先祖が日向から東征して畿内にやってきたというのは事実だと思います。
もともと天皇家が畿内にいたのであれば、そのほうが天皇家にとっては畿内に住む人民を支配するのに都合がいいはずです。
それを、わざわざ日向からやってきたと書いているのは、それが事実を反映したものだからでしょう。

勝浦(千葉) 本行寺 
本行寺釈迦堂 このあたりは日蓮宗が多かったです。日蓮が安房の生まれだからでしょうね。

⑥アメノホアカリ=ニギハヤヒは天孫でニニギの兄

神武天皇はニニギの曾孫にあたります。
ニニギは天照大神の孫で、天照大神に命じられて葦原中国に天下ったとされます。
そしてニニギにはアメノホアカリという兄がいたとされます。

京都府宮津市の籠神社が伝えるところによると、籠神社の御祭神ヒコホアカリは別名をアメノホアカリ、ニギハヤヒともいうと伝えています。

これが事実とすれば、ニギハヤヒはニニギの兄ということになります。
また神武が東征する以前にあった物部王朝は、神武の曾祖父(ニニギ)の兄(アメノホアカリ)が建国した国ということになりますね。

 
覚翁寺。このお寺は浄土宗のお寺でした。

⑦ニギハヤヒとナガスネヒコは同一神?

ニギハヤヒ(アメノホアカリ)は神武天皇の曾祖父・ニニギの兄なので
神武が東征して機内入りしたときニギハヤヒが生きていたとすると、相当な長寿だったということになります。
仮にニギハヤヒが20歳のときに弟のニニギに子のホオリが生まれたとしましょう。
ホオリ20歳のときにウガヤフキアエズ(ニニギの孫)が生まれたとすれば、このときニギハヤヒは40歳。
ウガヤフキアエズが20歳のときに神武天皇(ニニギの曾孫)が生まれたとすれば、このときニギハヤヒは60歳です。
で、神武天皇がナガスネヒコを倒して橿原宮で即位したのは52歳なので、このときニギハヤヒは112歳ということになってしまいます。
現代においても112歳という長寿の人はほんのわずかしかいないので、これは不自然です。
このときニギハヤヒはすでに死んでいて、ナガスネヒコが物部王朝の王だったのではないかと思えます。
ニギハヤヒはナガスネヒコの祖霊なのではないでしょうか。

勝浦(千葉) 松の湯  

千葉県で一番古い銭湯だそうです。中もすごくレトロなのだとか。
ホテルのお風呂もよかったけど、松の湯にも行けばよかったなあ~。


⑧エビスとナガスネヒコ(トミヒコ)は同一神?

関西はえべっさん(エビス神)に対する信仰が厚い地域で、1月10日は十日戎といって多くの人が各地の恵比寿神社を参拝します。

エビスはイザナギ・イザナミの長子として生まれますが、3歳になっても立つことができない身体障害児だったので、葦船に乗せて海に流されたとされる神です。

エビスがイザナギ・イザナミの長子として生まれたという点に注意して下さい。
この神話は「長子はダメ」ということを言いたいがために、エビスを身体障害児として創作し、海に流されたという話を作り上げたのではないでしょうか。

神武の先祖のニニギはニギハヤヒ(アメノホアカリ)の弟でしたね。
それで兄のニギハヤヒ(アメノホアカリ)はダメで、弟のニニギは出来がいい、というために、のような話を創作したのではないかということです。

エビスとはニギハヤヒのイメージを重ねた神ではないかと思います。
そして⑦で述べたように、ニギハヤヒとナガスネヒコは同一神だとすると、エビスとナガスネヒコ(トミヒコ)は同一神ということになります。

勝浦 夕景

⑨エビスは水死体だった。


海に流されたエビスは海の中にある竜宮にたどりついたという伝承がありますが、竜宮とは死の国のことでしょう。
つまり、エビスは海に流されて死んだ水死体なわけです。

⑩土左衛門の語源はトミヒコだった?

水死体のことを土左衛門といいますね。

これは江戸時代の力士・成瀬川土佐衛門が色白で大変な肥満体で水死体を思わせる容姿だったかことに由来すると言われますが
これが正しいかどうかについてはわかっていません。

私は、水死体のことを土左衛門というのは、トミヒコからくるのではないかと考えています。

というのは大阪に十三(じゅうそう)という地名があって、その地名の由来には様々な説があるのですが
その中のひとつに「中津(十三の近くにある)の富島という地名からくる」という説があるのです。

またかつて青森県の十三湖にあった十三湊は十三と書いて「とさ」と読みます。

とみ→十三→十三(とさ)衛門→土左衛門 と転じたのではないでしょうか?

で、⑧で述べたように、トミヒコ(ナガスネヒコ)とエビスは同一神と考えられますし
⑨で述べたように水死体をエビスという地域があります。

トミヒコ=エビス
エビス=水死体
∴トミヒコ=水死体

となります。

⑪土左衛門の神

さらに、天富命=トミヒコとすれば、天富命は水死体ということになります。
勝浦の遠見岬神社ではこの天富命を祀っていますが、勝浦は海に面した漁村です。
海で命を落とす人々も大勢いたことでしょう。
土左衛門の神は漁村の神としてふさわしいように思えます。

ちょっとややこしいですね。すいません~。

重蔵神社 夏祭 『重蔵神社はトミヒコ神社?』 
輪島ふらっと訪夢 御陣乗太鼓 『男幽霊(土左衛門)は重蔵だった?』  

こちらは関連記事です。

 勝浦 夕景


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[2016/12/17 00:37] 千葉県 | トラックバック(-) | コメント(-)

アンティークホテル ら・みらどーる 『市は付喪神を祓い浄める神事だった?』 


アンティークホテル 

千葉県鴨川市太見 「アンティークホテル ら・みらどーる」さん 
http://www.ptihotel.com/rooms.html

「アンティークホテル ら・みらどーる」さんに宿泊しました。
美しいアンティークの家具や雑貨がいっぱい!
あまりに素敵なので許可を得て写真を撮らせていただきました。
快くブログ掲載許可も下さり、本当にありがとうございました。

今日は素敵な「ら・みらどーる」さんのインテリアをご紹介しつつ、付喪神についてのお話しをしたいと思います。

アンティークホテル8 

●アンティークの定義


一般的に古いもののことをアンティークと言ったりしますが
厳密には製造後100年を経たもののことをアンティークと言うのですね。

アンティークホテル9  

これはストーブかな?

●付喪神と煤払い

古の日本では、100年を経た道具には精霊がつき、付喪神(九十九神/つくもがみ)になると考えられていました。
そこで付喪神に祟られないよう、古い道具は年末の煤払いで路地に捨てる習慣があったといいます。

もったいない~。
私なんかは新しいものは捨てたりすることもありますが、じいちゃん・ばあちゃんが使ってた道具なんか絶対捨てないです。
高価なものなどはありませんが、古い道具には現代の道具にはない暖かさがあります。

アンティークホテル7 

●終い弘法・終い天神


12月21日は京都・東寺の終い弘法、12月25日は北野天満宮の終い天神で、境内で骨董市が行われます。
もうずいぶん前に終い弘法に行ったことがありますが、ものすごい数の露店が駅から東寺までずらっと並んでいたのを思い出します。
「ら・みらどーる」さんに置かれているような西洋アンティークを売る露店もたくさんありました。

終い弘法や終い天神は、年末の煤払いで付喪神がついていそうな古い道具を人々が捨てていたのを、市を開いて売るようになったのが始まりであると聞いたことがあります。

アンティークホテル6 

●付喪神の憑いた道具はなぜ売れたのか?


人々が煤払いで古い道具を路地に捨てていたのは、その道具に憑いた付喪神に祟られないようにするためですよね。
それらを市で売ったということは、付喪神がついた道具を買う人がいたということ?
小道具を買う人は付喪神が恐ろしいとは思わなかったんでしょうか?

アンティークホテル4 

とても小さいけどオルガン?

●市は斎(いつき)だった?


平安時代だったか、虹はまがまがしいものとされていたそうで
虹がでると虹がでたところに市をたてるときいたことがあります。

市は斎(いつき)であると聞いた記憶もあります。斎とは潔斎して神につかえることを言います。

「市は斎」ではなく「一は斎」だったかもしれません。(記憶があいまいですいません~。)
ですが市と一は音が同じですし、日本ではどちらかというと漢字の意味よりも音を重視していたふしがあります。
たとえば、奈良東大寺に転害門がありますが、手貝門・手掻門・手蓋門などとも書 かれます。

なので、「市=一=斎」と考えてもいいのかなと。

アンティークホテル5  

●市は神事だった?

現代人は市とは単に物品を売買することだと考えていますが
古には市とは斎で、神事であったのではないでしょうか。

つまり市を開いて物品を交換したり金銭を支払うということは、道具に憑いた付喪神を祓い浄める効果があると信じられていたのではないかと思うわけです。

そう考えると、まがまがしいものだと考えられていた虹が出ると市を開いたということの意味や
煤払いで捨てたものを売買する市が開かれたことの意味がわかります。

アンティークホテル2 

だけど、もしも付喪神というものが本当にいるのなら、それはとても美しい精霊なのではないかなあ~。
そうでなきゃ、古い道具がこんなに美しいはずがありません。

アンティークホテル3 


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[2016/12/15 00:00] 千葉県 | トラックバック(-) | コメント(-)

仁右衛門島 走る波 夕景 『仁右衛門島の頼朝・日蓮伝説の真相?』 


千葉県鴨川市 仁右衛門島
2016年11月13日 撮影


グランプリファイナルのネイサン・チェン、すごすぎ!
四回転ルッツ+トリプルトウループ、四回転フリップ、四回転トウループ+ダブルトウループ、四回転トウループ
と四回転ジャンプ4回入れた鬼構成で、ノーミス!
ジャンプだけでなく、表現力もあるし氷上のプリンシパルという感じ。しびれる~♡♡
https://www.youtube.com/watch?v=E7WYruLQXas


仁右衛門島  
●仁右衛門島に残る日蓮と源頼朝の伝説

千葉県鴨川市は房総半島の南東に位置し、海岸に立つと太平洋が広がっています。
その太平洋上に仁右衛門島があります。
といっても、海岸からの距離はせいぜい30メートルほどなんですが。
泳いで渡れそうですよ。泳げないけど。(なんじゃ、そりゃ)



時間がなかったので島には渡らなかったのですが
この島は個人所有で、平野仁右衛門家が一軒あるのみだそうです。
島主は代々平野仁右衛門を襲名しているそうで、現在の島主は推定38代目なのだとか。

仁右衛門島にはふたつの伝説があります。

①1180年に石橋山の戦いに敗れた源頼朝(生没年/1147-1199)は船で安房の仁右衛門島にやってきて、島主に助けられ平家から身を隠した。
②仁右衛門島東部の神楽石で日蓮(生没年/1222-1282)が朝日を拝んだ。

関西には平家や源義経の伝説は残されていても、源頼朝の伝説は聞いたことがありません。(私が聞いたことがないだけかもですが。)
なんだか、ワクワクしますね~。

鴨川 波


●平野家は江戸時代に和泉国からやってきた?

平野家は江戸時代に和泉国からこの地へ移転してきたとする記録が残されています。
ところが源頼朝や日蓮は江戸時代より前の鎌倉時代の人物です。

石橋島の戦いで敗れた源頼朝が船で安房に逃れてきたのは正史に記録がありますし、日蓮は安房の生まれです。
なので、源頼朝や日蓮がこの仁右衛門島にやってきた可能性はあります。
ですが、平野仁右衛門が源頼朝を助けたというのはちょっと信じられません。
記録のほうが間違っていて、平野家は鎌倉時代すでに仁右衛門島に住んでいたという可能性もなくはないんですが。

仁右衛門島2

●平野家は天台宗から日蓮宗に改宗した。

平野家はもともと天台宗であったのが、のちに日蓮宗に改宗したと言われています。

そして日蓮宗の開祖は日蓮で、1253年に清澄山(鴨川市)の旭森山頂に立日の出に向かって「何妙法蓮華経」と題目を唱えたといいます。

平野家は日蓮宗の熱心な信者だったのでしょう。
そこで清澄山の旭森山頂に立って日の出を拝んだという日蓮の話をベースに、舞台を仁右衛門島に置き換えて伝説が作られたのではないでしょうか。

平野家が自らそういう伝説を作ったのかもしれませんし、近所の人がそんな風に噂したのかもしれません。

鴨川 海岸 日没

●頼朝は法華経を厚く信仰していた?

次に頼朝の伝説について考えてみましょう~。

石橋山の戦いで敗れた頼朝は洞窟の中で法華経を唱えていた、そのため敵から逃れることができたと言われています。
(仁右衛門島には頼朝が隠れたという洞窟がありますが、法華経を唱えた洞窟が仁右衛門島なのかどうかはわかりません。)

日蓮宗では「南無妙法蓮華経」と唱えますね。
「南無」とはサンスクリット語の漢語訳で、「帰依します」という意味です。
そして「妙法蓮華経」は法華経のことです。
したがって「南無妙法蓮華経」とは「法華経に帰依します。」という意味になります。

日蓮が生まれたのは源頼朝の死後20年ほどたってからなので、頼朝の時代に日蓮宗はありませんでした。(法華経への信仰はありました。)
しかし先ほどお話ししたように、日蓮宗は南無妙法蓮華経(法華経に帰依する)と唱える宗派なので
後の時代の日蓮宗を信仰する人は、洞窟の中で法華経を唱え続けた頼朝の話に感銘を受けたことでしょうね。
特に安房は日蓮が生まれた場所ですし、頼朝が船で安房に逃れてきた場所でもあるのでなおさらでしょう。

この頼朝が洞窟の中で法華経を唱え続けたという話をベースとし
熱心な日蓮宗の信者である平野家が所有する仁右衛門島を舞台に置き換えて
頼朝の伝説は創作されたのではないでしょうか?

 鴨川 海岸 夕景

●日蓮は源頼朝を信仰していたのでは?

日蓮が「南無妙法蓮華経」と唱えたのも、案外、源頼朝が洞窟で法華経を唱え続けたということにちなむものだったのかも。

なぜこう思うかというと、安房で生まれた日蓮は、かつてこの地に逃れてきた頼朝が洞窟の中で法華経を唱え続けたという話をよく知っていたはずだと思うからです。

また日蓮曼荼羅に八幡神と天照大神が描かれているそうなんですが、八幡神というのは源氏の氏神なんです。
そして神奈川県鎌倉市の鶴岡八幡宮境内には白旗神社があるそうです。行ったことないんですがー。
白旗神社という社名は源氏が白旗を用いていたことに由来します。
そして白旗大明神は源頼朝の神号です。

日蓮は八幡神と、法華経を信仰していた源頼朝のイメージを重ねていたのではないか。
そのため八幡神が描かれた日蓮曼荼羅が作られたのではないか、と思ったりするわけです。

鴨川 海岸 夕景 



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[2016/12/14 00:00] 千葉県 | トラックバック(-) | コメント(-)

浦安散歩 紅葉 『火山はなぜ女神に喩えられたのか?』 

2016年11月16日 撮影


千葉県浦安市といえばディズニーランドですが、ディズニーランド以外の浦安を知りたくて町を歩いてみました。

●浦安は漁師町だった。

浦安 稲荷神社 紅葉 
稲荷神社

稲荷神社には「大鯨の御社」ありました。

浦安 稲荷神社 大鯨の御社 

稲荷神社 大鯨の御社

昔、このあたりは漁師町で、東京湾にはときどき鯨が迷い込んできたそうです。

浦安魚市場 
浦安魚市場

旧大塚家住宅 
旧大塚家住宅

茅葺屋根の旧大塚家住宅は裕福な漁師さんの家だったそうです。

浦安 旧大塚家住宅 人形 
旧大塚家住宅内部

浦安 清滝神社 
清瀧神社


浦安 大蓮寺 紅葉 
大蓮寺

浦安 花蔵院 イチョウ 
花蔵院


浦安 豊受神社 
豊受神社

浦安 豊受神社 富士塚 
豊受神社 富士塚

●富士塚

豊受神社・清瀧神社・稲荷神社には富士塚がありました。
鳥居には「浅間神社」と書いてありますね。
浅間神社って関西ではあまり見かけません。

浦安には江戸川沿いに富士見という地名があります。




この日は残念ながら見えませんでしたが、天気がいい日にはこのあたりから富士山が見えるのでしょう。

浅間神社というのは富士山の神・浅間大神(コノハナノサクヤヒメ)を祀る神社なのです。

●浅間は火山を意味する言葉?

浅間神社って長野県の浅間山の神様を祀る神社なのかと思っていました。(汗~)

浅間山は火山で2015年にも噴火していますが、かつて富士山も活発に火山活動をしていたようで781年、800年~802年、864年、1707年に噴火したという記録が残されています。

アイヌ語で「アサマ」は「火を吹く燃える岩」または「沢の奥」という意味であり、富士山の神を浅間大神というのは富士山が火山であるからだとする説があります。

浅間山とはそのものずばり火山という意味だというわけですね。

●火の中で出産したコノハナサクヤヒメ

浅間大神とはコノハナサクヤヒメのことだとされていますが、これはなぜなのでしょうか?

コノハナサクヤヒメとはオオヤマツミの娘です。

天孫ニニギが高天原から葦原中国に天下った際、オオヤマツミは二人の娘・イワナガヒメとコノハナサクヤヒメをニニギの妻として差し出しました。

面食いだったニニギは美しい妹のコノハナサクヤヒメは妻として娶りましたが、姉のイワナガヒメはブサイクだとして送り返してしまいました。
オオヤマツミは大変残念がってこう言いました。
「天孫の世が繁栄するようにとの願いをこめてコノハナサクヤヒメを、天孫が長寿を得られるようにとイワナガヒメを差し出したのに!」
そういうわけで天皇の寿命は短くなってしまったそうです。

ニニギの妻となったコノハナノサクヤビメは一夜で身篭りました。
するとニニギは「本当にオレの子か?国津神の子なんじゃないか?」と疑いました。
コノハナサクヤヒメは、「天津神ニニギの本当の子なら何があっても無事に産まれてくるはずですわ!」といい
産屋に火を放ちました。
そして燃え盛る産屋の中でホデリ・ホスセリ・ホオリの三柱御子を産みました。


ちなみに、ホオリの孫が初代天皇の神武天皇です。

火山の噴火口は女神の女陰というわけで、火山である富士山の神はコノハナサクヤヒメとされたのではないでしょうか。


浦安より富士山を望む 
別の日に浦安から撮影した富士山です。


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[2016/11/24 10:32] 千葉県 | トラックバック(-) | コメント(-)

旧安西家住宅 『七夕馬と天然痘』 

千葉県木更津市 旧安西家住宅 

●旧安西家住宅

旧安西家住宅 外観

丘の上に茅葺屋根の家を発見!

旧安西家住宅 農作業の道具

使い込まれた農作業の道具が置いてあります。

旧安西家住宅 外観2 
ちょっとお邪魔させていただきましょう~♪

旧安西家住宅 竃 

玄関を入ると、土間の奥に素敵なカントリーキッチン(竃)が!

旧安西家住宅 竹でできた水道の蛇口 

水道の蛇口は竹でできていました。

旧安西家住宅 囲炉裏 
土間をあがったところには囲炉裏がありました。
古民家が好きであちこち見に行ってますが、関西では囲炉裏がある民家をみかけたことがありません。
関西はとにかく夏が暑いため囲炉裏が作られなかったようです。
かわりに火鉢が用いられることが多かったそうです。

山口家住宅 関東長火鉢 

↑ これは大阪府堺市の和田家住宅。写真向かって右に関東長火鉢が置かれています。

旧安西家住宅 仏壇 
黒光りするフローリングの床。写真中央にあるのは仏壇です。

旧安西家住宅 梁 

太くて立派な梁。

旧安西家住宅  
床の間のある部屋。案内板には「おく」と書かれています。

旧安西家住宅 薬研と七夕馬 
写真向かって左は薬研(やげん)。
漢方薬の原料となるハーブなどを砕くための道具です。

写真むかって右は七夕馬だと思います。

●七夕馬

千葉県では旧暦7月7日にマコモなどで作った七夕馬を作る習慣があったそうです。
子供たちがこの七夕馬を牽いて草を刈りに行き、刈った草を七夕馬に背負わせて家に帰るのだとか。

七夕馬は四つ脚につくられることもありますが、写真のように前脚のみというケースもありました。
参照/https://www.chiba-muse.or.jp/MURA/kikaku/tanabatauma/tokatsu.htm

なぜ子供が七夕馬を牽いて草を狩りにいくのでしょうか。
その意味については不明とのことです。

●草神から瘡神に転じた神社

瘡神社 

↑ 大阪府枚方市・片埜神社の境外社に瘡(くさがみ)神社です。
瘡神社は次のような伝説を伝えます。

菅原道真が無実の罪で流罪となり大宰府へ向かう途中、この地で道真の馬が倒れました。
道真は馬を地元の人に託して大宰府へ向かいました。
地元の人は手厚く介抱しましたが、馬は死んでしまいました。
馬が埋葬された場所には馬の好物である草がたくさんお供えされ、「草神様」と呼ばれるようになりました。
この「草神」が「瘡(くさ)神」に転じて「瘡神社」となり、皮膚病にご利益があると信仰されました。


瘡とは皮膚病のことですが、天然痘を意味するものでもあったのではないかと思います。
日本書紀には「瘡発でて死る者――身焼かれ、打たれ、摧かるるが如し」と記されており、天然痘の病状を記したものではないかと考えられています。

天然痘は疱瘡(ほうそう)、痘瘡(とうそう)ともいい、豆粒状の丘疹が全身にできます。

現在では種痘によって天然痘は撲滅されたとされますが、天然痘は近年まで猛威をふるっていた恐ろしい伝染病でした。
奈良時代には藤原四兄弟が天然痘に感染して死亡していますし
孝明天皇(1831-1867)の死因も天然痘であると記録されています。

七夕は牽牛と織姫が年に一度の逢瀬を楽しむとされる日ですが
牛頭天王(スサノオと習合されている)は疫神とされていました。
そして牽牛と牛頭天王はどちらも名前に「牛」とあるので同一視されていたのではないでしょうか。
つまり、牽牛は疫神であり、瘡をもたらす神であると考えらえていたのではないかと思うのです。

七夕馬をひいて子供たちが草を刈りいくのは、草を刈ることが、瘡(くさ)を刈るに通じると考えられたためではないでしょうか。
そして草が好物の馬は、瘡(くさ)を食べてくれる神として信仰されていたため、草刈りに牽いていかれたのではないかと思います。



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[2016/08/30 00:00] 千葉県 | トラックバック(-) | コメント(-)

木更津 みなと祭 花火 『鈴森に表れたろくろ首の正体とは?』 

千葉県木更津市 木更津港
木更津港まつり花火大会・・・8月15日

木更津花火4

やっさいもっさい踊りの翌日は花火大会です!

木更津 花火6

●證誠寺の狸囃子伝説の真相?

木更津港からほど近いところに、「證誠寺の狸囃子」の舞台、證誠寺があります。

證誠寺と信楽焼の狸 
證誠寺に狸の幽霊?(狸は紫香楽で撮影したものです。合成。)

昔、證誠寺は「鈴森」と呼ばれる竹藪が生い茂る場所にあり、一つ目小僧やろくろ首などの妖怪が出没していたそうな。
実は鈴森に棲む狸たちが妖術で化けていたのです。
しかし新しくやってきた和尚は一つ目小僧やろくろ首を見ても驚きません。
そこで狸たちは和尚を驚かせてやろうと、證誠寺の庭でお腹をぽんぽこと打って歌い踊りました。
すると和尚は驚くどころか、庭に出て三味線を弾きだしました。
こういうことが3日ほど続きましたが、4日目には狸たちは現れず、翌朝大狸が腹を破って死んでいたので和尚は大狸を懇ろに弔いました。

木更津 花火3

木更津 やっさいもっさい踊り  『狸の踊り念仏?』 

こちらの記事に次のようなことを書きました。

①稲荷神は狐とされるが狸のこともある。

②證誠寺の近くに八剣八幡神社がありますが、その末社・三社神社は御嶽神社 ・三峰神社 ・稲荷神社を祀っている。
この稲荷神社の神使が證誠寺に表れた狸ではないか。

③狐はたいてい女性に化ける。狸は男性的な容姿をしている。(信楽焼きの狸など)

④神はその現れ方で御霊(神の本質)・和魂(神の和やかな側面)・荒魂(神の荒々しい側面)の3つにわけられる。
そして和魂は女神、荒魂は男神とする説がある。
狐は女神で和魂、狸は男神で荒魂なのではないか。
御霊・・・・・神の本質・・・・・・・・男女双体
荒魂・・・・・・神の荒々しい側面・・・・・男神・・・狸
和魂・・・・・・神の和やかな側面・・・・女神・・・狐


⑤證誠寺の狸囃子では「つ~つ~月夜だ みな出て来い来い来い~♪ 」と歌う。
月夜とは15日ごろである。
狸たちは旧暦お盆の7月15日に證誠寺の庭に表れたのではないか。

⑥お盆にはご先祖様の霊だけでなく、悪霊も帰ってくると考えられていた。狸とはお盆に帰ってきた悪霊ではないか。

⑦狸はお腹をぽんぽこと叩いたとあるが、太鼓は悪霊を退散させることができると考えられていた。
狸たちは腹鼓を叩くことによって自分たちを退散させてしまったというのが「證誠寺の狸囃子」伝説の意味ではないか。


木更津 花火2 

●狸が化けたろくろ首の正体とは?


昔、證誠寺は「鈴森」と呼ばれる竹藪が生い茂る場所にあり、一つ目小僧やろくろ首などの妖怪が出没していたそうな。
実は鈴森に棲む狸たちが妖術で化けていたのです。

證誠寺からほど近い場所にある八剣八幡神社。
その境内にある三社神社の御祭神の一、稲荷神社が狸の正体ではないかと私は考えましたが、
この八剣八幡神社の前に弁才天厳島神社があります。
時間がなくて写真撮れなかったんですが~(すいません~)



※證誠寺は地図南の矢那川の文字の北にあります。


この弁才天厳島神社の神様ろくろ首の正体ではないかと思います。
なんでかって? 

木更津 花火  

●弁才天と宇賀神

喜光寺 宇賀神

上の写真は奈良・喜光寺境内にある弁天堂の御神体・宇賀神王です。

宇賀神は人頭蛇身でとぐろをまくお姿で表され、弁才天と習合されていることが多いのです。

この宇賀神がとぐろをとき、蛇体を伸ばしたお姿を想像してみてください。
頭部にながーい首がついたろくろ首になりますね。

木更津 花火5 

木更津港



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[2016/08/22 00:00] 千葉県 | トラックバック(-) | コメント(-)