ゴールデンウィークに長野県の善光寺に行ってきました!
善光寺では数え年で7年に一度(現在は丑と未の年)に、前立本尊の御開帳をっています。
羊年の今年は、4月5日(日)から5月31日(日)までです。
ご本尊は絶対秘仏ですが、本尊と全く同じ姿をしている前立本尊を拝観できるのです。
善光寺についたのは午後4時半すぎ。
仁王門近くの券売所はもう閉まっちゃってた~。
そりゃないよ、遠路はるばるやってきたのに~(自分が悪いんだけど)
と思ったけど、本堂前の券売所が開いていた~!
なんとかぎりぎりセーフで内陣参拝することができました。
本堂地下の真っ暗な通路を手探りでめぐる戒壇めぐりも体験しました。
暗闇の中に鍵があり、この鍵に触れると極楽浄土へ行けるとのことです。
手で触った感じでは、鍵は独鈷の形をしているようでした。(ここまで写真を撮る余裕なし)
前立本尊御開帳の期間中、日没から午後9時まで、本堂のライトアップが行われています。
本堂手前にある回向柱に結ばれた「善の綱」は本堂の前立本尊と繋がっています。
前立本尊の功徳にあやかろうと多くの参拝者が回向柱に触れていました。
善光寺・仁王門をくぐって門前町へ。
情緒ある美しい街並みが続きます。
善光寺の御本尊は、天竺(インド)の月蓋長者から百済の聖明王の手に渡ったのち日本にやってきたとされています。
日本にやってきた仏像は崇仏派の蘇我稲目が建てた向原寺で祀られていました。
しかし552年、排仏派の物部尾輿は疫病の流行は仏を祀ったのが原因であるとして、仏像を難波の堀江より流してしまいました。
のちに難波の堀江を通りかかった本田善光という人が信濃に持ち帰ったのが、善光寺の御本尊であるとされます。
物部御輿が仏像を捨てた難波の堀江とは和光寺(大阪市西区北堀江3-7-27)の阿弥陀池のことであるとか、向原寺(豊浦寺/奈良県高市郡明日香村大字豊浦630)の近くにある難波池のことだといわれています。
和光寺の阿弥陀池
向原寺近くにある難波池善光寺は近畿地方とゆかりのあるお寺だったのですね~。親近感がわいてきます♪
宮元 健次さんが、『善光寺の謎 (祥伝社黄金文庫)』という本の中で次のような意味のことを書いておられるそうです。
まだ読んでいないのですが~。
①善光寺内陣に守屋柱と呼ばれている柱がある。
②戒壇めぐりを行うことは、守屋柱を一周し、錠(独鈷)によって守屋柱に宿る守屋の霊を封じることである。
③善光寺は物部守屋を慰霊するための寺である。
私は宮元さんの説を支持します~!
587年、排仏派の物部守屋は崇仏派の蘇我馬子や聖徳太子と戦って戦死しました。
このように政治的に不幸な死を迎えた者は死後怨霊となって疫病や天災を引き起こすと考えられていました。
守屋も怨霊になったと恐れられたことでしょう。
古においては神と怨霊は同義語であったといわれます。
怨霊が祟らないように慰霊したものが神だというのですね。
さらに日本では神仏は習合されて信仰されていました。
神仏習合の基本的な考え方は、『日本古来の神々は仏教の神々の生まれ変わりである』とする本地垂迹説です。
そして神は一柱、二柱と数えます。
つまり守屋柱とは物部守屋という怨霊=神が宿る柱であり、善光寺のご本尊は守屋という神(怨霊)が仏に転じたものだと考えられます。
善光寺・・・長野県長野市元善町491いつも応援ありがとうございます♪
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