高野山 紅葉 『空海と即身仏』 

和歌山県伊都郡 高野山 金剛峯寺
撮影 2013年11月4日


高野山 金剛峯寺 東塔 
東塔

塔百景26

関西は11月も半ばをすぎないと紅葉の見ごろにならないところが多いですが、標高の高い高野山では一足早く紅葉が楽しめます。
高野山の紅葉情報はこちら→
http://www.rurubu.com/season/autumn/koyo/detail.aspx?SozaiNo=300014


高野山 金剛峯寺 東塔2

東塔

壇上伽藍は空海が曼荼羅の思想に基づいて創建したものだそうです。

朝寝坊して昼ごろでかけたので(汗)奥の院には行けなかったのですが、奥の院には空海の御廟と灯籠堂があり、参道には、皇室、公家、大名などの墓が20万基以上も立ち並んでいるそうです。

高野山 金剛峯寺 斉藤 

西塔
塔百景27

●高野山を欲した空海

804年、空海は遣唐使として唐に渡り、密教を学んで806年に帰国しました。
816年、空海は道場として高野山を貰い受けたいと願い出て許され、伽藍を建立しました。
なぜ空海は高野山を欲したのでしょうか。

高野山 金剛峯寺 荒川経蔵 
荒川経蔵

●空海は今も生きている?

空海は853年に高野山の奥の院に入定し即身仏になったといわれています。
続日本後紀には空海は病死して火葬されたと記されているそうですが、高野山では空海は今も生きていると信じられ、御廟には毎日食事が運ばれています。

高野山 金剛峯寺 大会堂

大会堂

●湯殿山の即身仏と水銀土壌

さて山形県湯殿山は多くの即身仏が残ることで有名ですが、この地は寒冷であるというだけでなく、土壌の水銀濃度が高いそうです。
即身仏になるためには木食といって五穀を絶って木の実や草などを食べる修行を行います。
水銀土壌の水銀濃度が高いとそこで育った木の実や草の水銀濃度も高くなり、これらを食べることで体内に水銀が蓄積されます。
水銀には防腐作用があるため死後腐りにくい体になった、湯殿山に多くの即身仏が残されているのはそのためではないかと言われています。

そして高野山には水銀の鉱脈があるそうで、空海は即身仏になるために水銀の鉱脈がある高野山に目をつけたという説があります。

高野山 大師教会

大師教会

●56億7000万年後の弥勒菩薩の聖業に参加する

即身仏となるべく入定した人の目的は釈迦入滅後56億7000万年後にあらわれる弥勒菩薩の聖業に参加することだったとされています。
56億7千万年後に復活するためには魂の入れものである肉体が必要だと考えられていたのかもしれませんね。


高野山 金剛峯寺 正門

正門



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[2016/11/06 00:00] 和歌山 | トラックバック(-) | コメント(-)

和歌山城 ライトアップ 『三年坂で転ぶと3年で死ぬ』 

和歌山市 和歌山城
2015年12月中旬 撮影

和歌山城 ライトアップ 

写真中央に映っているのは御橋廊下(おはしろうか)です。

●3年坂で転ぶと3年以内に死ぬ

和歌山城の南に三年坂と呼ばれるゆるやかな坂があります。
京都の清水寺の近くにも三年坂がありますね。
京都の三年坂で転ぶと三年以内に死ぬ、などと言われています。
瓢箪を身に着けていれば三年坂で転んでも死なないとも言われ、三年坂をおりたところには瓢箪を売る店があります。

私はこの三年坂で転んだことがあります。
着慣れない浴衣を着て、履きなれない下駄をはいてたもんで、つるっとすべって転んでしまいました。
瓢箪は買いませんでしたが、まだ元気に生きています。
転んでから七年くらいたちますが~。

同じような伝説が和歌山の三年坂にもあります。

江戸時代末ごろ、久左衛門が和歌山城の南にある三年坂で転びました。
弥蔵は久左衛門に「あと10回か20回、三年坂でころべばいい。1回こけたら3年目に死ぬ、2回こけたら6年目、こけるほどに命が伸びる。」といいました。


厳密にいうと、これ計算がおかしいですよね。
転ぶと3年以内に死ぬということは、死ぬのは明日かもしれないし、3年後かもしれない。
転ぶと3年後に死ぬのであれば、転ぶたびに3年寿命が伸びてもおかしくないですが、どう考えてもこけるほどに命が伸びるというふうにはならないです。

でもポジティブで楽しい話ですね。

●坂はあの世とこの世をつなぐ場所だった?


三年坂と呼ばれる坂は東京にもいくつかあり、やはり転ぶと3年以内に死ぬと言い伝えられているそうです。
また二年坂、百日坂という坂もあり、二年坂は転ぶと2年以内に、百日坂は百日以内に死ぬと言われているとのこと。
なぜ坂で転ぶと死ぬなどと言われるようになったのでしょうか?

私は黄泉比良坂(よもつひらさか)と関係があるのではないかと思ったりします。
黄泉比良坂とは記紀神話に登場する「あの世とこの世の境目にある坂」のことです。

イザナギは死んで黄泉の国へ行ってしまったイザナミをもとの世界に連れ戻すために黄泉の国へ行きました。
ところがイザナギは腐り、蛆がわいたイザナミの姿を見ておそろしくなり、逃げ出してしまいます。
怒ったイザナミは黄泉醜女(よもつしこめ)たちにイザナギを追いかけさせました。
イザナギは命からがら黄泉比良坂まで逃げ、大きな石を置いて道を塞ぎました。


もしも 黄泉比良坂で転んでいたらイザナギは黄泉醜女たちにつかまって、死の世界=黄泉の国から戻ってこれなかったことでしょう。

昔の人は坂はあの世とこの世をつなぐ場所であると考えており、そのため坂で転ぶと死ぬなどと言われたのかも?

和歌山城

MIND-TRAVEL のロゴの右にあるでっぱりは石落と呼ばれていますが、鉄砲を撃つために使われたなど、使用方法については諸説あるとのことです。



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[2016/01/24 00:06] 和歌山 | トラックバック(-) | コメント(-)

根来寺 紅葉 『根来寺炎上と根来衆』 

和歌山県岩出市 根来寺
2015年12月12日 撮影

根来寺 紅葉3

根来寺の前身は、1130年に覚鑁が高野山に建てた伝法院でした。
1132年、鳥羽上皇の保護を得て、覚鑁はさらに高野山に大伝法院と密厳院を建立しました。
1134年、覚鑁は金剛峯寺座主になっています。
当時の高野山は非常に堕落した状態であり、覚鑁はこれを建て直そうとしました。
しかし反対派と対立し、1140年には密厳院などを焼き討ちにされてしまいます。
そこで覚鑁らは高野山を下りて、根来に移りました。

 
室町時代末ごろには坊舎450、寺領72万石を数えるまでとなり、1万余の僧兵を持つようになっていました。
この僧兵たちは根来衆と呼ばれ、火縄銃で武装していました。
根来衆
 
↑ 根来寺の写真に堺祭の根来鉄砲隊の写真を合成してみた~。

16世紀ごろ、紀州では高野山・粉河寺・根来寺などの寺院勢力が力を持ち自治を行っていたようです。
朝廷や幕府は寺領において警察権や徴税権を行使することもできなかったといいます。

天下人はこのような宗教勢力に脅威を感じ、紀州征伐を行うようになります。

天正十三(1585)年、秀吉は大軍を率いて紀州征伐に向かい、根来寺を落としました。
根来寺は炎上し3日に渡って燃え続けたそうです。

根来寺 紅葉 
塔百景64

大塔(多宝塔)はこのとき焼け残ったものです。

近くで見るととても大きいのに驚きました~!
高さ40メートル、幅15メートルで、日本最大の多宝塔です。
オレンジ色の紅葉と立ち上る煙が、根来寺炎上を思い出させる風景でした。

それにしても、なぜ中世には大寺院が大きな権力を持つようになったのでしょうか?
私は寺が大規模な荘園を持つことによって、経済力を持ちえたことによるのではないかと思いますが、みなさまはどうお考えになりますか?

1580年以降、羽柴秀吉が太閤検地をおこなったことによって、荘園は消滅したとされます。

※根来寺でお会いしたカメラマンさん、撮影場所を教えてくださってありがとうございました!


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[2015/12/13 13:09] 和歌山 | トラックバック(-) | コメント(-)